ちゃんとそーゆー言葉があるんすね(;^_^A
常に変化する日常なのに、内観してても情熱を邪魔してくるこれは何じゃ!?
と思ってたんですが、そーゆーもんなんすね...。
色々と知れば知る程、刷り込まれた習慣にその仕組みを仕掛けた側の悪意を感じるも、そんな事思ってもどーしよーもないので、それはそれとしてスルー出来るようになりました。(;^_^A
孤軍奮闘して情熱を傾け過ぎると、一気にやっちまおうとしてしまいがち。
人間には適応能力があるので、何事も少しづつ習慣をボチボチ、ジワジワと変えて行くぐらいがやっぱりいいのかと少し納得。
こーゆー言葉って元々あまり日本には親しみがない事を考えると、苦難、災難、困難さえも有り難しとする日本的な本来性の精神文化の高さが垣間見得る。
先人達が望んだ自由という環境は、ある一方では迷いを産み、我欲を育て、人を鈍くする。
受け継がれている手仕事の質の低下は、
時代背景もあり、ある程度は仕方の無い事なのかも知れない。
ただ、それを言い訳に安易な道を探す事を一定のレベルまで達していない人がする仕事には、その作品にも魂を感じない。
人の手を通して形作られるものには、やはり何かが宿るよーです。
与えられた環境で、愚直に、まっすぐ。
その中でホメオスタシス(恒常性)をいかに壊して行くかが、自分の中で課題になる旅はもう少し続きそうです。(;´Д`)