今年は、ノーベル文学賞の発表は見送られましたが、

その分、昨年受賞したカズオ・イシグロ氏の作品の余韻に浸り、さらにそのメッセージ性にいま一度目を向けてみる良い機会なのかもしれませんね。

イシグロ氏は、私たちが今まさに分断された時代の中を生きるからこそ、文学の重要性を語っていますが、

特に2015年に出版されたThe Buried Giant 忘れられた巨人』には、不安定で、不確かな世界だからこそ、過去を見つめる勇気とその価値、そしてそこから得た知恵をどう活かしていくか、という深いメッセージが込められています。

イシグロ氏が、文学を、人類として壁をどう乗り越えるかというヒントを与えてくれる手段と位置づけているのは、今の混沌とした世界情勢だからこそ、大きくうなずけるものがあります。

一方、主人公の老夫婦を通して、人間一人ひとりに内在する「触れられたくない過去」に焦点を当て、個々人が、それぞれ棚上げしてきた問題、敢えて蓋をして見ないようにしてきた事柄が、物語の随所に、巧みに描写されています。

一個人として成長していく上で、それらを直視し、それに向き合って初めて気付くことを、どう活かし、より良い未来をどう残していくか、という人間の永遠の課題を巧妙に投げかけてきます。

老夫婦が息子を探しに行く旅は、まさに自分探しの旅であり、人間同士の絆の確認でもあります。

記憶と忘却の狭間で揺れ動く心も、それすらも意図的であると暗示し、人間の本質の奥深さを描き出すイシグロ・ワールド。

国家レベルでも、個人レベルでも、傷を癒すために、人は時に色々な仮面を被りますが、本当の癒しは、自分自身としっかり向き合うことでしか達成できない、というメッセージを突き付けてきます。

本小説は、色々な思いや思い出を呼び起こしますが、何事も本物であれば残り、そうでなければ破壊の一途を辿る、という二極性がとてもシビアで、かつ真実に迫る一冊です。

ある意味、承認欲求やインスタ映えが流行する時代だからこそ、重く心に響く作品ですね。

向き合うかどうかは個人の選択ですが、どれも成長の一プロセスでしかない。

どのような行動にも自分で責任を取り、世界中で起きている紛争や戦いは、自分たち自身を振り返る材料であり、それをどう活かしていくかは、個々人の行動に委ねられている。

イシグロ氏が表現する文学は、今の社会をそのように俯瞰する視点を提示してくれるものであり、ノーベル賞という形で光が当たったのも、時代の後押しがあってのことでしょう。

どこかに置き去りにしてきてしまった「大きな忘れ物」の存在を思い起こさせてくれる、

そんな一石を投じたノーベル賞受賞でしたが、

1年経った今も、そのメッセージはとてもパワフル。