黒字は お経の文句
青字は 須田の意訳
緑字は、註の説明
となります。
今日、ご紹介するところは、永遠に青春でいたい方、
若さを保ちたい方、活き活きと生活したいかたには
とくに、おすすめです。
4.無色聲香味蝕法 無眼界 乃至 無意識界
無無明 亦 無無明尽 乃至 無老死 亦 無老死尽
むしきしょうこうみそうくほう むげんかい ないし むろうしきかい
むむみょう やく むむじょうじん ないし むろうし やく むろうしじん
意味)
五感の器官の働きによって認識している、物質や
聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりする感覚も、本物ではない
目で見えている現象界でもそうだし、
意識界で感じていることも、一時的であるから、本物ではない。
無明 (明るくない・鮮明でないこと=悟っていないこと)は
’本物’ではないのだから、無明(迷い)を滅しようということ
も必要ない。
同様に、死も、老いる事も 有るかのごとく見えているだけ
なのだから、老いや死をなくすこともあり得ない(必要はない)。
物質というものは、私たちの限られた能力のある、肉眼が、
見える範囲で、確認しているのですが、その物質の、本体、
たとえば、分子レベルで、波動レベルで実存していても、
それはこの肉眼では、認識できません。
永劫に続いて、実在しているエネルギー体、それが、すべての
存在物の核 なのですが、また、これを、般若心経では
空 と呼んでいますが、これを、私たちは、肉体レベルで
誰も、観て理解できないのです。
同様、’私は欠点だらけで、とても、進歩がないし’・・と
諦めや、自分を責める心や、’悟りなんて、お坊さんが
考えること・・’と、関心を持たないことも含めて、”無明”
とここではよんでいます。
でも、無明 の状態は、有って無きがごとし、何故なら、
一過性のそのときの、感覚でそう、決めつけているだけ
だからです。
誰でも、空 という、自分の核を認め、本質として、備わっている
智慧と生命力に気が付いた瞬間、戸惑いや恐れ、不安や悩み
執着などから、解放されるからです。
なので、このお経のこの一節には、”無明を滅する必要もない”
という結論が出ます。
同様、この”空のエネルギー”、である、私たちの、細胞、原子核
のエネルギーである、生命力を意識できたとき、年はとらず、
命は、”死滅”することがないことも、わかりますから、
老死 を滅しよう という前提自体も、なりたたなくなるわけです。
