天皇陛下を御支援2。「ヒゲの殿下」寛仁親王殿下 のお言葉は我々の指針。 | よしくんのブログ ~愛する日本を守りたい~

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売国・安倍政権を糾弾!
アメリカは、資本家・グローバリストという王侯貴族の国家。
アメリカ、韓国、竹中平蔵、統一教会のために売国する、
安倍政権を批判します。
当初は、経済評論家・三橋貴明さんに期待しましたが、安倍政権の一味と解り、批判に転じました。

○私ごときが天皇陛下について書くのは本当に畏れ多いことだ。

でも私の記事を最後まで読んでいただければ、ご理解いただけると思います。

「書かざるを得ない」。書かざるを得ないんだ。


理由の一つが、天皇皇后両陛下があまりにお可哀想で、・・・。

まあ・・・書きます。

題名は悩みましたが、読者の方に親しみをもっていただけるようにと「ヒゲの殿下」という表現を使わせていただきました。批判はお受けします。


○・現在の天皇陛下のお気持ちを推察するには、これまでの「皇室を囲む卑劣な連中の行状」を、

改めて眺め、その意味するところをしっかりと考察する必要があります。


これをしなければ「結論はブレ、間違ったものになり」ます。

しかも「あらゆる手段を用いて」その「間違ったもの」に強引に持っていかんとする目的をもち、

「皇室を囲む卑劣な連中」が、現在極めて悪意をもって跋扈している状況です。


○過去何があったのか。


まずこのサイトを見て頂きたい。人物を理解するために。


畏れ多くも

三笠宮寛仁殿下のお言葉はとても貴重で、

「皇室の未来を考えていく上で、我々の指針となるもの」です。


 




 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 注。あまりに「素晴らしいお話」なので、今回の記事は抜粋で終わってしまいます。



三笠宮寛仁殿下の薨去から一年。殿下の語る「女系天皇に反対な理由」は必読!再びお届けします。


http://blog.goo.ne.jp/fukudaikichi/e/5654b87d7f5db108b3cc17f12302f316


①>>2013.6.6 16:25
三笠宮ご夫妻の長男、寛仁(ともひと)親王殿下が66歳で薨去してから1年にあたる6日、


>>恥ずかしながら「ヒゲの殿下」という愛称を存じ上げてただけのかけだし、
調べてみたら、畏れながら、とても親しみやすく、型破りな方だったと知りました。

エピソードのひとつひとつが「!」という意外性に溢れ、
また「アルコール依存症」を告白された殿下に
酒をこよなく愛するかけだし、勝手ながらとても親近感が沸きました。

↓ wikiより ↓
1975年(昭和50年)には、ニッポン放送のオールナイトニッポンのDJを担当していたことがある。
皇族の一人がラジオ番組のDJを担当するのはもちろん、深夜番組の担当は皇室の歴史始まって以来の出来事であり、
2010年現在、最初で最後の民放放送局のラジオ番組にDJとして出演した皇族の一人でもある。
また、信子妃とともにテレビのバラエティー番組に出演したこともある。
2007年(平成19年)10月にはニューヨーク・タイムスのインタビューに答え、

学習院時代には山手線に乗って通学した、朝鮮学校の生徒に因縁をつけられることもあったなどと青春時代を回想した。
彼らは学習院の制服を見つけると、いつも襲いかかってきたものでした」との発言が記録されている。

またアルコール依存症を公表した事に触れ「皇室はストレスの塊」と述べた。
依存症で度々入退院を繰り返した。


三笠宮寛仁殿下と櫻井よしこ氏の女系天皇についての対談を教えてもらったので、
対談中のそこかしこに溢れる、殿下の親しみやすいエピソードと合わせて、
殿下が語る「皇室」についてのお話、ご高覧いただければ幸いです。


天皇さま その血の重み なぜ私は女系天皇に反対なのか
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nihon/kousitutenpan/2006-01-10-bungeishunjuu-tomohitosinnoudenka.html
文藝春秋 平成十八年二月号

わずか一年の議論で決定 これは皇室伝統の破壊ではないか
寛仁親王殿下

聞き手 櫻井よしこ(ジャーナリスト)


②>>寛仁親王 
私が中学生の頃、よく学校をサボって映画館に行きました。当時、新東宝映画というのがあって、
『明治天皇と日露大戦争』という作品でしたが、この時はクラスメイト二人と一緒で、
私が明治天皇を指して、
「あれは俺の曾祖父ひいじいさんだ」と言いましたら、隣に座った級友が
「その隣は俺の曾祖父さんだ」すると、そのまた隣が
「こっちにいるのは俺の曾祖父さんだ」
つまり、明治天皇と伊藤博文と西郷隆盛の曾孫ひまごが三人サボって映画を観ていたわけです。
しかも三人とも直系の子孫ではありませんでしたから
「俺たちは傍系だからいじけてサボっているわけだな」といって(笑)
「曾孫会」というのを作りまして、今でも彼らとはよく会います。
そんな笑い話もありますが、やはり明治天皇が偉大な天皇でいらしたという気持ちは強くありますね。
私は司馬遼太郎さんの本が好きでほとんど読んでいますが、明治天皇のエピソードがたびたび出てきます。
私が好きな話のひとつに山岡鉄舟が天皇様を相撲で投げ飛ばしたというものがあります。
山岡は賊軍である幕臣出身ですが、その人柄を見込まれて明治政府に侍従として取り立てられ、
天皇様のご養育係をつとめました。そして天皇様がまだ少年の頃、山岡に相撲を挑んだところ、
山岡はいとも簡単に転がしてしまう。わざと負けてあげて「お強いですね」と持ち上げる手もあるのですが、
山岡は将来、きちんとした君主に育っていただきたいという心を込めて、あえて投げ飛ばした。
さすが剣と禅の達人であった山岡です。山岡のような家来がいたことで、明治天皇は偉大な君主になられた。
お若き時のよき体験であっただろうと思います。



③>>櫻井 
甥御さんから見た昭和天皇はどんなお方でしたか。

寛仁親王 
先帝様には逆立ちしても勝てない、という気持ちが強い。
人格、人徳というもので、あれほど公平無私でいらした方はいらっしゃらないでしょう。
人間というものの動き、生態というものが全部おわかりになっていた。
私が若い頃、高松の伯父様が
「たまには若い者が陛下のところでお話しをしなさい」とおっしゃったので、
私と弟(高円宮)が陛下のところに行きましてお話しをさせていただいたことがありました。
その頃、私は青少年育成の仕事をしていて「どうなっているか」とご下問がありました。
ちょうど二年くらいかけて日本中を駆け回ってきたばかりでしたから、
私にしかわからないことが多いだろうと、滔々とまくし立てたのです。

ところが、陛下から返ってくるご質問は、末端のことまでよくご存知でなければ出てこないものばかり。
私たちはびっくりして、
「その通りでございます」と言うしかありませんでした。
帰りの車の中で弟と「どうしてあそこまでおわかりになるのだろう」と話しをしましたが、
結局、陛下は戦前、戦中、戦後と、日本のいい時も悪い時もすべてご存知で、その間、
とてつもなく多くの人間と対話をしてこられた。
だから、専門分野というものを超越して、すべてをわかってしまわれるのだと
思いました。



④>>寛仁親王

(略) 
私は若い時、皇族のあり方について高松宮様とたびたび議論をして、その結果、私は現場監督をやります、
と言いました。皇室を建設会社にたとえますと、会長が陛下(昭和天皇)で社長は皇太子様(今上陛下)、
重役として秩父宮様、高松宮様、三笠宮様、常陸宮様(正仁まさひと親王)がいらっしゃる。

その下の我々の世代が部長、課長ということになりますが、会社がうまく回っていくためには、
本部の人だけではなく、現場監督が必要です。

それに私がなると。
たとえば札幌オリンピックの組織委員会の一員として札幌に住み、サラリーマンとして二年間、
働いたりも
しました。「皇族札幌出張所の所長」と称しましてね(笑)。


⑤>>寛仁親王 
たとえばハンセン病ですが、高松の伯父様はこの病気の大家でいらした。
櫻井さんは藤楓協会というのをご存知ですか。


(略)


寛仁親王 
藤というのは昭憲皇太后(明治天皇の皇后)のお印で楓は貞明皇后(大正天皇の皇后)のお印。
それをとって名付けた財団法人です。ハンセン病について正しく啓蒙活動をするというのが設立の趣旨で、
全国に十三の療養所がありました。
日本の福祉は天平二年(七三〇年)に聖武天皇のお妃であった光明皇后が悲田院、
施薬院をお作りになったことに始まると
されています。
その時から、歴代の皇后様はハンセン病の面倒を見てこられた。
それを昭憲様も貞明様も引き継がれたわけですが、とくに貞明様は積極的になさっておられました。


そこで貞明様が崩御あそばされた時、息子たち四兄弟が相談して、
皇后様のご遺金の一部に四人それぞれがお金を足して、それを基本財産とした財団を作ったのです。
それが藤楓協会。とても素敵な話でしょう。初代の総裁は高松の伯父様、次が高松宮妃殿下(故喜久子様)、
最後は私がつとめましたが、今でもハンセン病の療養所に行くと、
高松の伯父様、伯母様のことを神様のように思っている入所者がたくさんいます。



⑥>>寛仁親王 
十年ほど前のことになりますが、柏朋会が主催して武道館を借り切った大コンサートを開いたことがあります。
そこに全国から障害を持った車椅子の人やハンセン病の患者をたくさん呼び寄せました。
そのコンサートに、当時のアルゼンチン大使のご夫人、ポーリー・フェルマンさんも来てくれたのです。
彼女はプロのピアニストで、昔から自分のピアノを障害者福祉に生かしたいと考えていたそうです。
しかし、日本に赴任して以来、一度も障害者を見たことがなかった。それが、武道館を埋め尽くす数の
障害者
を見たものですから、仰天して、私の活動をぜひサポートしたいと申し出てくれたのです。
そこで、私がマネージャーとなって、北は北海道から南は奄美大島まで身体障害や知的障害の施設、
ハンセン病の療養所、老人ホームなどを回る全国縦断ピアノ・コンサート
をしていただきました。
奄美大島のハンセン病療養所に行った時、患者さんの一人は、音楽をライブで聴くのは七十年ぶりだと言った。
八十歳を超えたご老人でしたが、十代で入所し、それからは外出することがなかったので
ラジオ、テレビでしか音楽を聴いていない。そこにポーリーさんがピアノを持ち込み、
素晴しい腕前を披露してくれたのですから、みなさん感動していました。
これこそ外交の原点であると、私はポーリーさんにたいへん感謝しています。


ポーリーさんはこの体験をもとに、帰国後、アルゼンチンでもハンセン病の患者たちをサポートしたいと
調べたところ、患者たちが集まって住んでいる町があるというので、出かけたそうです。
すると、街に住む人たちから、近づくなと追い返されてしまった。
そこは、映画の『ベン・ハー』に出てくる、病の人たちだけが住む隠れ谷のような状況だったそうです。
ポーリーさんはすっかりショックを受けてしまった。さまざまな問題があるとはいえ、
日本には美しい敷地に素敵な療養所が建っています。まず、そのことを認識してはどうでしょうか。



⑦>>寛仁親王 
(略)


これにはきっかけがあって、高校生の頃、はたと気がついたら我々には同業者が十六人しかいなかった。

櫻井 
同業者?

寛仁親王 
皇族のことです(笑)。学習院のクラスメイトの父母の職業はさまざまでしたが、
彼らは全国を見渡せば同業者が山のようにいる。ところが、我々は十六人しかいないわけですから、
これは友人をたくさん作っておかなければ将来、大変なことになると考え込んでしまいました。
私は小さい頃は虚弱体質の引っ込み思案で、自分から友だちを作るようなタイプではありませんでしたが、
それからというもの、友だち獲得作戦をやりまして、それは今でも続いています。
さらに自分が選んだ仕事というのが、青少年育成、スポーツ、福祉、それらに並行して
国際親善もありますが、これはすべて「人」が対象です。
ご存知のように私は癌で七回手術を受けましたが、最初の食道癌の手術がいちばん大きくて、

体を大きく三カ所も切られました。
しかし、入院中、お見舞い客と話をしている間だけは、痛みを忘れているんですよ。


⑧>>

寛仁親王 

(略)

もちろん、皇族の中にも、皇族であることを重荷であると考えて苦しんでいる人もいます。
たとえば、私が結婚する時、弟(桂宮)がかみさん(信子妃)に、
「どうしてあなたは兄貴と結婚するんだ」と聞いたそうです。弟は日頃から、
皇族が結婚することは苦しむ人間を一人増やすことだから自分は結婚しないと述べていました。かみさんは、
私は皇族と結婚するのではなく、トモさんという一人の男と結婚するのだから」と答えたそうですが、
これだけとっても皇族が重荷であると考える人と、そう考えない人がいる。
私の姉妹弟たちも、それから二人の娘たち(彬子あきこ女王、瑶子ようこ女王)も経験しているはずですが、
学習院の初等科時代、クラスメイトから
「お前たちは俺たちの税金で食わせてやっているんだ」という嫌味なことを言われるのですよ。
今の私なら、
「何言ってやんでい、おめえの税金じゃなくて、親父が払っている税金だろう」と
言い返すこともできますが(笑)小学生ではそうもいかず、ショックを受けて帰ってきました。
私の場合、あまり仲の良くない相手でしたから「バカヤロー」で済みましたが、
弟は親友だと思っていた相手にそう言われたので、たいへんなショックだったことでしょう。

(略)



⑨>>

櫻井 
保険なしでは費用が大変ですね。

寛仁親王 
最初に癌になった時は、自分で払っていました。すると、それを知った宮内庁長官が、
「えっ?」とか言いまして(笑)
それは大変だろうと、癌に関してだけは宮内庁が負担してくれるようになりました。


櫻井 
しかし、ご病気は癌だけではありませんね。

寛仁親王 
私は昨年、心臓の不整脈を起こして慶応病院の循環器内科に通っていますし、
娘たちも喘息の気味があって、これも慶応の小児科がいいというのでそこに通わせました。
こういうのは全部、現金で払う。稼げども稼げどもわが暮らし楽にならざり、ですね(笑)。



⑩>>

寛仁親王 
たとえば、宮家にはお客さんが来た時にお茶やお菓子を運ぶ若い女性がいます。


彼女たちを「侍女」と言いますが私が歳費の中から雇っています。
そういう
人件費だけで歳費の半分は飛んでしまう。
幸い私には講演料や印税などがありますから、娘たちに栄耀栄華とまではいかなくても、
それなりの生活を送らせることができますが、それがなければ本当にぎりぎりの生活でしょうね。

櫻井 
世間には皇族の方々は豊かで、ある意味で豪華な生活をされているというイメージがあります。



⑪>>

私は皇位継承順位が第七位(現在は五位)という時期があって、ラッキーセブンで気に入っていたのですが、
ちょうど英国に留学していた時期に皇太子妃であった美智子様がご懐妊された。
皇太子様と秋篠宮様はもうご誕生されていたので、私は、
「ラッキーセブンから動きたくありきせんので、どうか内親王様にしてください」と
お手紙を差し上げたのです(笑)そうしましたら紀宮様がご誕生になって、皇位継承権は動かなかったんですね。



~~~~

⑫>>櫻井 
存在していることそのものが大切というお考えは、実は日本文明の核であるような気が私はしております。
今回の「有識者会議」は天皇を戴く皇室をさまざまな理屈で解釈し、とうとう女系天皇容認という
皇室の伝統を覆すような結論を出しました。女性天皇は歴史上存在しましたが、女系天皇はいなかった。
有識の人々ヽヽヽヽヽはそれを認めるというのです。

 


⑬>>

寛仁親王 
天皇様というご存在は、

神代の神武天皇から百二十五代、連綿として万世一系で続いてきた
日本最古のファミリーであり、

また神道の祭官長とでも言うべき伝統、
さらに和歌などの文化的なものなど、さまざまなものが天皇様を通じて継承されてきたわけです。
世界に類を見ない日本固有の伝統、それがまさに天皇の存在です。


⑭>>

櫻井 
有識者会議の十名にしても、天皇家のことや、日本の歴史や精神文明について深い知識と
理解をお持ちの方は幾人いらしたのか。
かろうじて最高裁判事だった園部逸夫さんに皇室法に関する著作があるというのと、
東大名誉教授の笹山晴生さんが『日本書紀』など日本の古代を専攻されていたにすぎません。
あとはロボット工学の専門家とか、国際人としてお顔が売れているとかいった方たちで、
日本に軸足を置いた方というのがどれくらいいらしたかはなはだ疑問です。

⑮>>寛仁親王 
会議の構成について私が口を挟むわけにはいきませんが、二千六百六十五年間も続いてきた
世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で
大改革してしまうということが、果たして認められるのでしょうか、あまりに拙速にすぎませんか、
ということは強く申し上げたい。

(略)


たとえば、かつて十代八方の女帝がいらしたことが、女帝論議に火をつけているような部分があります。
あの方たちはたしかに存在なさいましたが、そのほとんどは皇女、
つまりお父様が天皇でいらした男系の女子です。

また、もともと皇后でいらして、天皇が亡くなられたため即位された方も多く、ほとんどが
御家系の中の適齢期の方が即位されるまでの中継ぎ役、ピンチヒッターとしての即位でした。

また、独身で即位された方は終生、配偶者を求められていません。つまり結婚なさいませんでした。

これらの女帝と、今、認められようとしている女系の天皇というのはまったく意味合いが違い、
これからやろうとしていることは

二千六百六十五年間つながってきた天皇家の系図を
吹き飛ばしてしまうことだ

という事実を、国民にきちんと認識してもらいたい。


⑯>>

寛仁親王 
皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論をひねり出さなくても、
皇統を絶やさない方法はあると思うのです。
たとえば、継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇のお三方は、それぞれ十親等、八親等、七親等という、
もはや親戚とは言えないような遠い傍系から
天皇となられています。


光格天皇の場合は、前の天皇の内親王様のところに婿入りされて、内親王様は皇后となられている。
そんなに古い時代のことではありません。光格天皇という方は孝明天皇のお祖父様ですから、
明治天皇から見ると曾祖父様で、我々からもすごく近いところにいらっしゃる方です。


また、宇多天皇という方は一度、臣籍降下なさって、臣下でいらっしゃった間にお子様も儲けられているのに、
その後、皇室に適格者がいなくなったのか、皇族に復帰されて、皇太子になられ、天皇に即位されています。
お子様も一緒に皇族になられて、その後、醍醐天皇になられています。
こういった事実はいくつもあり、選択肢もたくさんあることをメディアはもっと発表すべきです。


(*私の意見。発表しないんだよね。)


⑰>>

櫻井 
座長の吉川弘之元東大総長自ら「(この報告書は)歴史観や国家観で案を作ったのではない」と
公言していますからね。

吉川座長はロボット工学の権威で、
まさにその発想を天皇家の問題にも適用しているのですが、
(略)

歴史観や国家観がないだけでなく、傲岸不遜でもあります。
殿下が「ざ・とど」に書かれたエッセイについて新聞記者から質問を受けた吉川座長は、
「どうということはない」と答えています。この無礼さは何なのでしょう。

(*このバカを覚えておいてください。)


寛仁親王 
私は構いませんが(笑)
「ありがたく拝聴させていただきます」
くらい言っておけば角は立たないのですから、非常識だとは思いますね。


(*流石です。)


⑱>>

寛仁親王 
戦後、GHQの圧力で皇室弱体化のために皇籍を離脱させられた十一の宮家もあります。
その後、後継者がなく絶家になってしまったところもありますが、今でも少なくとも八つの旧宮家には
男系男子がいるのですから、宇多天皇のようにその方々にカムバックしていただくという手もあります。
これらの方々が昭和二十二年に皇籍離脱される時、当時の加藤進宮内府次長が、
「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい」
と言っています。当時の人たちもそういうことは考えていた。しかし、GHQが睨みをきかせているし、
その時は六人もの若い男系男子がいましたから、きっと大丈夫だろうという発想があった。
しかし、今、それが危うくなってきたのです。
今、旧宮家には八方くらいの独身男子がいらっしゃるそうですから、全員というわけにはいかなくても、
当主のご長男とか、何人かには皇籍に戻っていただいてもいいのではありませんか。
これらの方々と今の天皇家との共通の祖先は南北朝時代の崇光天皇まで、
六百年もさかのぼらなくてはならないと反対する人もいますが、

二千六百六十五年の歴史からしますと、六百年くらいは十分に許容範囲です。



 

⑲>>

寛仁親王 

(略)

みなさんが意外とご存知ないのは、我々現職の皇族と旧宮家の方々はすごく近しく付き合ってきたことです。
それは先帝様のご親戚の集まりである「菊栄親睦会」をベースとして、
たとえばゴルフ好きが集まって会を作ったりしています。また、お正月や天皇誕生日には、
皇族と旧皇族が全員、皇居に集まって両陛下に拝賀というご挨拶をします。
最初に我々皇族がお辞儀をして、その後、旧皇族の方々が順番にご挨拶をしていく。
ですから、我々にはまったく違和感などありません。

櫻井 
庶民の言い方をしますと、ずっと親戚付き合いを続けてこられて、お身内の感覚が強いわけですね。

寛仁親王 
たとえば私の姉は近衛家に降嫁して、忠大ただひろという一人っ子がいますが、
最近、彼が結婚しまして、子どももできて、父もとうとう曾祖父さんになりました。
そのお相手というのが神社本庁の統理をなさっている旧久邇宮家の当主、邦昭さんの弟さんのお嬢さんです。
ですから、旧皇族さんたちとは文字通り親戚です。
それから、もうひとつの方策として、秩父宮家、高松宮家という由緒ある宮家が今、
絶家となっているわけですが、ここに旧皇族さんたちに入っていただき、
祭祀のお祭りをしていただくという手もあります。
これは前例もあって、高松の伯父様は有栖川宮家の祭祀をお祭りになっていました。


 

有栖川宮威仁たけひと親王は大正天皇の皇太子時代、お側にあって教育や健康の管理にあたられ、
大正天皇はそのことを大変恩義に感じておられましたが、残念なことに威仁親王には後継者がいらっしゃらず、
宮家は廃絶になりそうでした。そこで大正天皇は、
「その祭祀をうちの三男坊に継がせよう」と仰せになりました。


⑳>>

ですから足利、織田、豊臣、徳川といった天下をとった武家たちも、
つねにナンバー・ツーの存在
であり、ナンバー・ワンには天子様がおわした。
当時の国民は、京都には都があって、そこには天子様がいらっしゃるということを暗黙のうちに知っていて、
心の支え、置き所として尊崇の念で見てきた。その尊崇の念の根本は、繰り返しになりますが、
二千六百六十五年の間、神話の時代から延々と男系、父方の血統で続いてきたという稀有な伝統であり、
この血の重みには誰も逆らえなかったということだと思います。血統に対する暗黙の了解、
尊崇の念を国民が持っていてくださるから、私のように仕事はするけど毒舌の乱暴者であるとか、
弟のような車椅子の重度障害者であっても、みなさんがきちんと扱ってくださるわけです。


㉑>>

寛仁親王 
私に言わせると振り子の原点、アメリカ人は担保と考えるくらい、日本の歴史に根ざしている
この天皇制度というものが崩れたら、日本は四分五裂してしまうかもしれません。
そう考えると、この女系天皇容認という方向は、日本という国の終わりの始まりではないかと
私は深く心配するのです。


㉒>>

櫻井 
ヨーロッパには女王がいらっしゃるから日本にいてもいいではないか、という議論がありますが、
ヨーロッパの王室は武力、権力に基づく王権ですが、
たとえばスウェーデンのベルナドッテ王家の祖はナポレオンの部下の将軍です。
ナポレオンがヨーロッパを席巻したとき、スウェーデンの国王にはたまたま後継者がいませんでしたから、
いっそナボレオンの部下を迎えたら、国土を荒らされなくて済むだろうというので、
シャルル・ベルナドッテ将軍が国王に迎えられた。
彼は生涯、フランス語しか話せなかったそうです。


㉓>>

寛仁親王 
民族の知恵ということで言えば、今回の議論では、男女平等とか、
男女共同参画といった考え方
もあるようですが、
それは日本国民が守っていかなくてはならない民主主義の中のひとつの規律です。


しかし、そもそも皇室というものは、そうした民主主義の規範内にぴたりとおさまる存在ではないということも
忘れてはなりません。


たとえば我々皇族は選挙権もなければ被選挙権もありません。
また、医療保険もなければ、営利事業に関与することもできない。
つまり基本的人権をまったく無視されていて、日本国民と言えるかどうか難しい存在であるわけです。
そこに国民の規範を適用するというのはナンセンスですし、そうするのであれば、
まず天皇様から選挙権をお持ちいただいて、政治的発言もしていただかなくてはなりません。
しかし、皇室というものはそういった国民の規範からわざと外して、別格としてある。
これまた大和民族の知恵だろうと思います。



㉔>>

櫻井 
最後に皇室典範を改正しようという一連の流れの中で、非常に気になるのは、
拙速な議論に反対する勢力に対して、まことしやかに「これは陛下のご意思です」と言って、
反対論を封じ込めようとする動きがあることです。

寛仁親王 
一昨年の十一月に陛下が宮内庁長官と侍従長をお呼びになったという事実があるそうですね。
そこから「有識者会議」の設置などがばたばた決まったので、
そういう話も出てきているのかもしれません。


㉕>>

寛仁親王 
今の典範のままですと、いずれ先細りになって皇位継承者がいなくなるという可能性はありますから、
ご自分の御世のうちにしかるべき確かな方法を考えてほしいというくらいのことをおっしゃった可能性は
あるかもしれません。しかし、具体的に、女系を容認せよ、とか、長子優先とか、そうおっしゃる可能性は、
間違ってもありません。陛下はそういうことをおっしゃる立場にありませんし、
なにより非常に真面目なご性格からしても、そのような不規則発言をなさることはあり得ないでしょう。

櫻井 
ならば、陛下のご本心は、「有識者会議」の報告書と同じなのか、それとも反対でいらっしゃるのか。
私には二千六百六十五年続いた伝統をご自分の代で変えてしまうことを
陛下はお望みではないと思えてならないのですが。

寛仁親王 
あれだけ神道の祭事を生真面目にこなされている天皇様も珍しいですからね。


~~~~~~~~~~

以上「ヒゲの殿下」と親しまれた三笠宮寛仁殿下の対談記事からの抜粋でした。


○若い頃は、皇族ゆえのお悩みに「やんちゃな行動」もあったとのことですが、

対談を読むと(畏れ多いことながら)「しっかりした人物」であらせられたのが、解ります。


まず殿下の発言に「いい加減なものは無い」と断言していいでしょう。

(何を書いているのやら。)


この信頼をおける殿下が積極的に発言し、「阿呆に馬鹿にされる」という一件が起こりました。


上記から抜粋。


>>

⑰>>櫻井 
座長の吉川弘之元東大総長自ら「(この報告書は)歴史観や国家観で案を作ったのではない」と
公言していますからね。

この1件をまず追います。


 

・その前に「女系天皇」ですが、「あまりにバカ馬鹿しい」ので書きません。

論外です。

歴史と伝統の上に、いや、とんでもない歴史と、とんでもない伝統の上に成り立っている「皇室」の問題を、

軽々しく扱ったり、「一般社会の概念」で扱うのは間違いだ。

バカ馬鹿しいにも程がある。


アメリカナイズされた弊害ですね。

歴史や伝統の重みが解っていない。

歌舞伎役者でさえ、歴史・伝統が語られます。

河原乞食と軽蔑された職業であったのに。能などを参考にして成立した大衆芸能でさえ、

現在、馬鹿にしたり、蔑んだりする人はいない。

日本の大切な伝統文化ですよね。


ましてや比較にならないほどの存在です。皇室は。


・このぐらいにします。馬鹿な考えをやっつけるのに時間は裂きたくありません。

 

いよいよ本題に入ります。

 

皆さんが怒りに震えることになろうかと思います。

天皇皇后両陛下は、「そのような感情を抱え込み」苦しんでおられることと推察します。

(不敬な表現です。申し訳ありません。)


○皇位継承問題に対して、

wikiから>>

2004年 (平成16年)末に当時の内閣総理大臣小泉純一郎 の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議 」が設置されたことにより関心が高まった。


売国奴小泉です。


○皇室典範に関する有識者会議


wikiから>>


男性皇族が40年誕生していないため、若い男性皇族が不足し、皇位継承に支障を来たす恐れがあること

から2004年 (平成16年)12月27日に設置され、皇位継承 やそれに関連する制度について2005年 (平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について女性天皇女系天皇 の容認、長子優先を柱とした報告書を提出した。


・結論は、


>>

皇位継承について女性天皇女系天皇 の容認、長子優先を柱とした報告書を提出した。」です。


・皇室の存在を根本から否定するものです。

 

 

つづく。