何もしたくない。追い詰められているわけでも、誰かに何かを強要されているわけでもない。お金がなく生活が苦しいわけでもない。大学に籍があり授業を受ける権利を持っているのにろくに授業に参加せず、実験のレポートは書き始めても数行しか進まず未完成のまま。このままでは確実に進級できない。そんなことはわかりきっているにも関わらず、何もしたくないのだ。

 ではなぜ何もしたくないのか。それは目標がないからだろう。将来なりたい職業があるわけでもなく、大学にいながら学びたいと1ミリも思わない。強いて言うなら数学を面白いと思う程度。だからといって本気で勉強しようともならない。今までの人生を振り返っても自分は常に目の前の幸せに飛びついて努力してこなかった。長期的な目標を掲げたこともなく、ただただ楽なように生きてきた。家が裕福で親が優しかったこともありそれで生きてこれたのだ。真に自分のための長期的な目標がないために、今しなければならないことが何もかも嫌になり逃げてしまう。これはこれから生きていくにあたって最重要課題になるだろう。

 また、何もしたくない理由として危機感がないことも挙げられる。目標の立て方と検索すると目標には「発生型目標」と「設定型目標」の2種類存在すると出てくる。「設定型目標」は自ら目標を掲げてそれに向かって努力を重ねることを言うが、これは先述した、”なりたい職業がない”や、”やりたいことがない”といった話である。「発生型目標」は今ある問題を解決するために掲げる目標であり、これが危機感と関係する。「発生型目標」はそもそも今ある問題を認識し分析する必要があるが、危機感がなければ直面している事柄を問題だと思わない。冒頭に述べたように今自分はこんな事をしている時間はなく、まっとうな人間であれば今すぐにでも課題に取り掛かり、教授に謝罪のメールを送っていることだろう。しかし危機感がない自分は自己分析のためというもっともらしい理由をつけて文を書いている。これはこれから生きていくにあたって2番目に大きな課題になるだろう。

 

 (勢い良く書き始めたはいいものの、思考が多岐にわたってもう面倒くさくなってしまっている。頭の中や今の状況を整理するためにキーボードを打っているのに、それすらも面倒になれば本末転倒である。しかし読み返してみれば変な文章だ。何を書きたいのかがはっきりしない。そのせいで話が飛び飛びになり読みにくい。いろいろなことに不安しかない。)

 

 今日は力付きたのでこの辺で終わりにする。