プロレスが成り立つためには、レフェリーの存在が不可欠です。

 この人がいるからこそ、試合として成り立ち、観客も感情移入ができるのです。(いなければ、ただの殴り合い、場合によっては事件ですからね)。

 

 さて、レフェリーの公平なジャッジという意味では、教師も子どもたちのトラブル事案に対して「公平なジャッジ」が求められます。

 

 まずは、ケンカを止めます。危害を加えるもの(凶器など)をもっていたら、強引にでも手から離します。さて、ここからが、レフェリーとしての教師の腕の見せ所です。

 

 ケンカに至ったいきさつやどんな流れで今のケンカの状態になったのかを具体的に把握する必要があります。そのためには、「一人ずつ話を聞いていく」ことが大切です。

 一人が話をしているときに、もう一人に口出しさせることは禁じなければいけません。時には、レフェリー群(教師集団)を組んで、別室で一人ずつ話を聞くということも必要です。

 

 正確に具体的にケンカの経緯を探っていきます。あやふやなところを確かなものにしていきます。

 

 しかしながら、どうやってもあやふやな部分がはっきりしないということもあるでしょう。

 教師がその現場に最初から見ていたわけではないですから(見ていたら、確実にこんなことにはなっていなかったでしょう)。こういう場合はどうしますか。

 

 ケンカ自体、おたがいの話で具体化したもので指導をしていきます。教師が見ていたものを指導するのは稀のケースでしょう。レフェリーにも見えていないところをジャッジするという「綱渡り」をしているということを理解しておくことが大切です。

 

お互いが認めているところ・はっきりとしているところでジャッジを下すことが公平なジャッジとなるでしょう。

「そこは、先生も見ていないし、お互いはっきりしていない。だから分からない」と言い切ってしまうことも大切な場合があります。

 

 プロレスの特殊性の一つに「5カウントまで、反則が認められる」というものがあります。反則が認められているなど、他のスポーツではあり得ないことですよね。ここにプロレスの懐の広さを感じるのです。

 

 さて、教師も「懐の広さ」をもってケンカの対処にあたる方がよいでしょう。

 

 話が食い違う場合、何とかして事実をはっきりとさせねばという思いが強いばかりに「本当は、どうなの?!しっかり思い出しなさい。あなたが関わったんだから、あなたが今やるべきことなの!責任があるのですよ!!」などと、追い詰め過ぎることは、この事案の解決に進まないばかりか今後の指導にも悪影響を及ぼします。

「そうか、君はそう思ったんだ」ぐらいの軽い対応も時には必要です。

 

そして、「行為は指導出てきても、人格は指導できない」ということを胸に刻んでおきましょう。

集団生活を営む中で、衝突はあって当然です。

そうだって思っちゃうこともあるよね。」「どうしてもその時は許せなかったんだね」と、その子たちが抱いた思いについては懐深く認めてやってもいいのではないでしょうか。

その後に、「でもね、手を出すのはよくなかったね。」「困ったら、先生を呼べば良かったよね。」と、行為については指導をしていきましょう。

 

 プロレスではキックが飛んできたり、カウント3が入らずに八つ当たりを受けたりと、レフェリーも大変そうです。しかしながらジャッジは冷静に下しています。

 

 教師も冷静に、「おっ、トラブルか。指導のチャンスだ」ぐらいの心構えで対応したいですね。

 次の日に興業があれば、昨日キックをしてきたレスラーにも公平なレフェリングをしていきます。

 教師も同様。同じ子が、次の日もトラブルを起こすこともあるでしょう。それでも、「今日は、何だろなぁ」ぐらいの余裕をもちたいですね。