吉野山・金峯神社と吉野水分神社 | 千に輝やく風との出会い

千に輝やく風との出会い

キラキラと心に映った風景の記録です。

吉野神宮からバスで終点の奥千本口にやって来ました。ニコニコ
バスを降りると、目の前に急な上り坂❗️

坂を200メートルほど登ったところに金峯神社があります。
金峯(きんぷ)神社は吉野山の地主神とのことですが、昔の人は、こんな山深い地で、どのように参詣されていたのだろうかと考えずにはいられませんでした。
 

昔は、バスはおろか、道も整備されていなかったでしょうし、、。

徒歩で来るには、かなり険しく長い道のりです。滝汗

 

本殿前でのお詣り後に、御朱印を頂こうと思って社務所の方に声をかけたら、「今、地震ありましたねー!大丈夫でしたか?この建物もけっこう揺れたから。」と言われました。

私は全く気が付かなかったのですが、この日この時、和歌山南部を震源とする地震が確かにあったようでした。ガーンキラキラ

↑金峯神社本殿。
 
義経たちにしても、楠木正成たちにしても、鎌倉時代から室町時代の方々の強靭な体力というか、脚力というか、根性には、本当に恐れ入ります。滝汗
 
「ここからは下り坂だから、ゆっくり歩いて行けますよ。」と社務所の方に教えていただいたので、楽に歩いて行けそうかな、、口笛と、思いきや、、、
 
これまた、かなり長い道のりの坂道をひたすら行くことになりました。滝汗アセアセ
↑坂道途中の不動明王様お願い
 
ずーっと坂道を下っていくと、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)に着きました。
御朱印も送付形式になっていて人の気配はなかったのですが、なんとなく生活感を感じる境内でした。おねがい
ここは、水神(子守明神)様が祀られているとのことで、子宝や子どもの健康を祈願したり感謝したりされる場所でした。お願い
ほんのちょっと、春日大社みたいでもあります。おねがい
春には、桜が咲き誇る絶景となる景観。おねがい
こうして見ると、けっこう山の上ですね。びっくり
人丸塚のお地蔵様にお願いすると、子宝に恵まれるそうです。ニコニコ
 
大塔宮(護良親王)は後醍醐天皇の皇子で、鎌倉幕府討幕に参加されたとのことです。
かの時代における大塔宮の立場や行動、そして彼の思いを描いた小説を読むと、とても切なくなります。
 
小説で読むと「京都から吉野へ移った。」と、一行ほどのことになりますが、実際の行程はどのようなものであったのだろうかと想像してみると、現代を生きる私などには、とても大変極まりないことのように思います。滝汗
 
本当に、「昔の人はスゴイ‼️」と感嘆するばかりです。ニコニコ