玉環が養子に貰われて実家を出た時の地球では、 

 

ローマ帝国が世界一の偉大さを人類に誇示していた時代でありました。 

 

その頃、

中国、唐大中期の 第六代皇帝

『李隆法』

と言う名の玄宗皇帝は 

 

「開元の治」と呼ばれる大唐帝国を築いておりました。 

 

 

 

玄宗皇帝には、 

 

一人の皇后の正妻と

 

側室の妻が数千人おり、寵姫と言われる愛妾も数百人いて 

 

 

子供は60数名

 

孫は百人ほどいたという、精力絶倫の王様でした。 

 

その妃の中でも、 

 

『武恵妃』

という美女は、玄宗皇帝が李隆法と呼ばれていた時代の 

 

初恋の人でありました。 

 

玄宗皇帝は 

 

都の巷で、下駄を履いて一緒に遊んで楽しかった妖艶な美少女である

幼なじみを、 

 

側室の妃にしました。 

 

数多い妃の中で、武恵妃を誰よりも特別に扱い、寵愛すること 

 

20数年間

 

 

 

李隆法と言う男を 

 

誰よりも理解できる妃として、後宮を牛耳る武恵妃は、

 

玄宗皇帝に 溺愛され続けていました。 

 

 

しかし、 

 

玄宗皇帝にNo.1に深く愛されても、

当時の唐国のシキタリにおいては、トップ権力者の皇帝であろうとも、 

 

昔からの皇室で決めたシキタリには、誰も逆らう事が出来ないよう な仕組みを作り上げられており…

 

 

武の姓に生まれ育った武恵妃は、正室の本妻にはなれず、 

 

李の姓を持つ、正室の皇后はただ一人とされていたのでした。 

 

 

 

つづく

 

〜絶世の美女と言わせ続ける妖魔の一生〜