運動修正に、運動生活史が"なぜ"必要なんだろう?
精神医学の分野では、精神病患者は有機体の異常のみが、原因とならないという。そこで、原因を生活史に求めるのだそうだ。運動の修正って、精神的なものなのか?
運動を習得するのは、過去の運動経験、運動知識を使う。
だから、
過去の運動経験/知識を探ることが、
欠点の原因同定
に迫れるのだそうだ。
指導者に大切なことは、学習者(選手)を
観察し、
欠点を見抜く力
が必要だ。
そして、原因を探り、修正していくことになる。
指導者も学習者(選手)も、
「欠点」をわかっていても、修正できない場合がある。
この時、学習者(選手)の運動生活史に「原因」を求めるという。つまり、今まで行ってきた練習、トレーニングを見直すことになる。
(これは、指導者の技術認識の誤りからくるものである。)
また、身体的原因においては、怪我や先天的なものなどを運動生活史から判断することになる。身体的原因を指摘しても、改善不可能なものがある。この場合、学習者(選手)の"ヤル気"が失せてしまうだろ。
だから、運動生活史を探るのが必要なのだそうだ。
指導者は、学習者に合った個別修正指導を見つけ出さなければならないネ。
大人の運動嫌いも、運動生活史を探れば、その原因が見えてくるのだろか?
運動が出来ないことに対して、
・大人のコーチに怒鳴られた
・笑われた
・冷遇 etc.
そんな、コーチにならないように❗
(引用文献)
金子他:運動学講義、大修館書店、1990