現在は高校生の息子
中一の秋頃に頭痛を訴えるようになり、
中二の夏休み明けから
学校に行けなくなりました。
その息子の経過を
ハラハラ伺っていました。
今日は「頭が痛い・・・」と言われると
大丈夫かと心配する思いと
「またか・・・」という思いが
入り混ざって、
「またか・・・」と思ってしまう自分も嫌でした。
子どもの体調を気遣うよりも
学校に行けない事に心が反応してしまっていました。
そんな時に子どもに向けていた眼差しは
大丈夫なの?
この先どうなるの?
という、
不安でした。
気持ちが眼差しから溢れ出て、
息子に
私の不安や心配が流れ込んでいった感じです。
眼差し以外にも
ちょっとした仕草からも
思いが漏れていました。
“ため息”とか。
ため息も、出ちゃうし、
眼差しも、向けちゃう
知識としては知っていても
やってしまうのです。
そこからゆっくり離れることが
できるようになったのは
その不安の根っこが自分の中にある事に気づき、
自分自身に寄り添えるようになったから。
それから、
【息子は息子】と
自分とは違う一人の人として
息子の選択を受け入れられたから。
子ども自身が
考えて決める、選択する
人は日常生活で
小さな選択から大きな選択を繰り返し生きています。
選択には責任もセットでついてきて、
その責任は自分に対するもの。
誰のせいにもしない
そうやって自分の人生の舵を握っている
その自覚、感覚が持てるようになっていくことが大事。
隣で伴走はできるけれど、
子ども自身が舵を握って漕ぐことができるように
身近な大人は
自分で漕ぐ漕ぎ方を教えるだけ・・・
代わりにやってあげて、
漕ぎ方を学ぶ機会を邪魔しない。
ハラハラすることもあるけど、
自分でちゃんと人生の舵を握って進む力を持っている。
そう思えるようになって、
ゆっくり変化していったのです。
自分にも優しく 自分が一番の応援団
最後まで
お読みいただいて「ありがとうございました」