1981年の夏

私、誕生爆笑  

3人きょうだいの末っ子

体動かして遊ぶことが大好きで、女の子より男の子や年下のこたちと遊ぶことが多かったニコニコ

年齢の近い女の子とは気が合わなかったりしてたのもあった泣くうさぎ

(なぜだろうキョロキョロ)


私が1歳の時に母が白血病に

4歳くらいの時は幼稚園休んで、一緒に病院についていっていた

廊下の待合室みたいな所で絵本見てた記憶がある


その頃だったかな(多分)

母は家にいることがあり、イタズラする度に怒られたりしてたてへぺろ


5歳くらいの時は

母は入院してて、私はよく父と一緒にお見舞いに行っていた


担任の先生の提案により、クラスのみんなで私の母に手紙を書いた(私は1人で5.6枚書いたニヤリ)

その日の夕方父と一緒にお見舞いに行き、母のいるベッドの上で私はその手紙を1枚1枚読んだ照れ


その日に限らず、お見舞いからの帰りになると

「やだー!!!  お母さんのところにおるー!!!」と泣きわめく私

そんな私に父は「病院におるなら〇〇〇(私)も注射されるよ」

注射が大の苦手だった私はその言葉を聞いて渋々帰るショボーン

これがお見舞いから帰る時のパターンてへぺろ


当時幼かった私は気付いてなかったが、

後から聞いた話によると

検査の為か注射や採血などをされることが多く、段々と腕の血管に注射の針が刺さらなくなり、手の甲などで採血等をされていたようで、それをすごく痛がっていたということだった


幼い私にはそういう姿を見せないようにしていたのかな


私が6歳の7月

母の病室にはたくさんの人がいた

家族、いとこ、親戚

部屋が暗く、何がどうなっているのか分からなかった

みんな喋らず病室は静かだった


その重々しい雰囲気がいやで、私はひとり病院の階段で遊んでいた


そんな私を親戚が呼びに来るのだか、私はその後何度も病室を抜け出して階段で遊んでいた


そして

母、他界。

私はその事に気付いていたのか?


部屋は明るく、母方の親戚に母の髪をクシでとかしてと頼まれたので、私は喜んで母の髪をクシでとかした

その時、クシには髪の毛がたくさんだった


白血病の治療で抗がん剤を使うとその副作用で髪が抜けるということを聞くからそれだったのか?


母の通夜にはいとこや親戚が来てくれ、私はみんなに会えたことによろこんでいた


通夜の最中、眠くなった私は

そのことを父(祖母だったかも)に伝えると棺桶の方に頭を向けて寝るように言われた

棺桶をそっと除くとそこには青白い顔の人の顔

その顔を見て、お化けのように感じ、「やだ!こわい。。。」と失礼ながら足を向けて眠らせてもらった

棺桶の中にいる人が私の母とは思っていなかった


火葬場では父が扉の前でずっと下を向いていた