後藤理沙子さんのブログのタイトルのセンスに憧れて
このようなタイトルになりました。笑
(ちなみにワイ文才あるので途中クソ笑うと思いますので
電車とかで読まない方がいいです)(自分で言うな)(コーナーで瞬足履け)
先日
愛する竹内舞ちゃんがSKE48から卒業しました
ということでこれまでのヲタク人生を
色々振り返っていこうかなと思い筆(キーボード)
を取りました
僕が竹内舞ちゃんを推し始めたのは2013年6月某日
僕は当時17歳学生でした(苦笑い)
熊本在住限界外国人ヲタクだった僕にとって
3ヶ月に一回くらいの個別握手会は
死んでしまうほど楽しみで
今までのような散歩感覚で新幹線起動して
名古屋日帰りなどという感覚ではありませんでした
綿密に計画を練って
絶対事故らないよう話す内容をメモして
握手会に臨んでいました
当時は
1推し 峯岸みなみさん(えっ?)
2推し 片山陽加さん(はっ?)
3推し 古川愛李さん(太もも)
という感じでした、懐かしい...笑
でも柴田阿弥ちゃんモチベがクソ高かったんです
柴田阿弥ちゃんに会うためにがんばっとるんや!!というくらいに。
しかし
飛行機が遅れ(クマモーロは外国なので空輸がBEST)(言わせるな)(注釈させるな)
3部の阿弥ちゃんに間に合わない...................
という事態が発生し
10枚ほどあった券を全干すことに。
これが後に語られる(語られない)運命のターニングポイントと
呼ばれるようになる(呼ばれたことはない)(今日始めて使った)(コーナーで差をつけろ)
とは知る由もありませんでした()
1番モチベが高かった阿弥ちゃんの券を干し
まあまあモチベが高かった
竹内舞ちゃんの券を持って始めての握手へ
2013年というと竹内舞ちゃんは
当時19歳黒髪ストレートスーパー可愛い時期でした
1枚目は可愛くて多分あんまり喋ってなかったか
確か筋肉の話した覚えがありますが経緯は
思い出せません笑
そして2枚目
「おかえり」って言ってくれたんです!!!!!!!!!!!!!!!!
これが超テンション上がってしまい
レーンから帰ってくるときの私の顔マジで
限界地獄顔だった思います笑
確か当時の僕のTwitterのハンネ
てる@おかえりの魔法
とかいうクソ笑えるハンネにしてたと思いますwwwwwwwwwwwwwwwww
だって考えてみてください。
3ヶ月に1回のペースの握手故に認知なんて有り得ない。
当時のガン雑魚ヲタクだった僕には
認知してもらえたという事実がクソ嬉しかったんでしょう
「推し変じゃ」
とこうなるわけです。いたって単純でした
でも今考えるとあの単純さが今の自分を
成り立たせているんだと思うと俺マジサンキュー!
って感じです
その次の握手は8ヶ月後だったんですけど
竹内舞ちゃんは僕のことを覚えてて
竹内舞ちゃんの記憶力のおかげで
その後もモチベを保つことができたと言っては過言だ(は?)
2回しか握ってないチンカスヲタクのことを覚えてるなんて
竹内舞ちゃんはほんとにすごいなーって思ってました(完)
ちなみにあの頃は箱で推せとか色々あった時期だったので
サケカスがマジ楽しかった記憶しかないですね
神戸でナゴドに参戦し
ナゴドで始めて総会なるものに参加し
てるというヲタクが見つかったのでした
初めて公演に入ったのもこの時期
2月13日㈮のシアターの女神・バレンタイン公演
大脇さんとか居ましたwwwwww
6列目で初めてにしてはもったいないくらい楽しくて
死んじゃった(照り)
ヲタク特有のアレです
指差す振り付けに俺だけのレスだと勘違い
ほんとにあの頃の俺キモかったな~(今もキモいけどww)wwwwwww
ヲタク自体は2011年からやってたけど
この頃そこそこの中級ヲタクだと(自分では)思ってました
そうです総選挙
枚数もそれなりに買ってましたし
竹内舞ちゃんにもどっぷりハマってたし
あの頃の俺本当に熱かったです
熱すぎて火傷してました、してないけど
後に第二の運命のターニングポイントと呼ばれる(コーナーで以下略)
総選挙煽り動画を作ったのもこの年です
かつての動画職人
時田佳奈美さんに強く影響されてこういった動画になりました
竹内舞ちゃんを勇気づけたくて、笑顔にしたくて、
こんな子がいるよって知ってほしくて
そんな気持ちで心血注いでました
多分100時間くらいかけたと思います
竹内舞ちゃんに
あの動画見て泣いたよ、ありがとね
って言われたのを未だに覚えてます
この人のために頑張ろうって思えたそんな瞬間でした
自分のことをアピールするのが苦手で
そのくせ他人の良いところを見るけるのが上手で
そんな人が「みんなにありがとうって壇上で言いたい だからランクインしたい」
ってそう言ってくれたのが本当に嬉しくて
彼女が幸せになるんだったら
魂でも売れるなんて思ってましたね~
結局その年はランクインできなくて相当悔しかったな~
生誕委員に入ったのもこの年
そして初めての生誕祭
現町音葉お兄ちゃんに出会ったのもこの年
生誕は本当に今の48の現場では醍醐味だと思ってます
人と人とのつながりもそうだし
ファンからアイドルへ
そしてアイドルからファンへ
委員やってて学んだことは本当に多い
本当にやってよかったと思います
翌年から遠征の鬼となりました
5週連続遠征して休み、
新潟お披露目→京都全握とか普通に回してて
ヲタク怖って今は思います()
ロストバゲージ(あっ)
就活中にヲタクするとろくなことありません
スーツケースごとネカフェに忘れてトヨスタ、
会社指定の前泊のホテル干してネカフェに泊まって
寝不足のまま面接とか頭悪すぎるwwww
今となっては思い出ですが社会人となった今マジで有り得ない()
なんやこれwwwwwww
楽しかったなwwwww
そして私は22歳社会人になり
竹内舞ちゃんは23歳に
(たけうちーむとの思い出が凄まじいけど
全部語ると175964554455225字が予想されるため割愛)
そして卒業発表があった2017年3月17日
仕事が終わってほっともっとで弁当買ってました
弁当待ってるついでにTL見てたらなんかざわついてて
たけうちーむが「ついにきたか...」
みたいなつぶやきしてて時間も20時半過ぎだったんで
察して死んでしまいました
ずっと明日は我が身と卒業の想像はしてたけど
いざそのときが来ると実感がないものでしたね
よくヲタクに
まいまいとどんな話をするか聞かれます
今自分に同じ問いかけをしても
考えてしまうくらいには大した握手してこなかったなーと
今日は泳いできたよ~
とか
今日もゲロ可愛いね~
とか
すち...
とかしか言ってこなかった()
けどまあ
真面目な話をしたいときは
いつもワーワー言ってくる竹内舞ちゃんも
察して静かに私が話すのを
待ってくれたりだとか
いつも軽く握るけどそういうときは強く握ってくれたりとか
そういう言葉に表せない(⇧現に言葉で表してる)
ような会話があって
そんなとこに絆感じてましたね勝手に
最後の握手も他愛もない話で終わっちゃったけど
それはそれでよかったかな~と
でも横断幕のときは自然と涙が出てました
好きで好きで仕方なかった人がどこか遠くに行ってしまうんだ...
って思うと悲しくて寂しくて
竹内舞ちゃんの
「この6年半は...」できました笑
人目も憚らずに、
というかこういうときの涙は本当に抑えられない笑
深夜にみんなで考えた横断幕の口上も
あ、あざす笑
みたいな感じで流されて
竹内舞ちゃんらしいな~wwwって思ったけど
それも含め1つの企画を率先してやることができてよかったです
そして5月29日の卒業公演
卒業発表からこの日まで全てがあっという間でした
来なければいいのにずっと思ってたけど
クソみたいな運営の下にいるよりはマシだなって思うと以外と泣けなかった
不器用太陽で竹内舞ちゃんが泣いてるのでもらい泣きし
町音葉お兄ちゃんの口上の
「この6年半は...」
みたいなとこでまた泣き
でも初日とか逆上がりも泣きそうにはなったけど以外と泣けなくて
シアターの女神でぶち上がってしまい笑
愛の色がきて
死んでしまい
スルーザナイトがきて
はるたむのおっぱい揉みてーとなり
結局そんなに泣けなかった
そんなこんなでセレモニーも竹内舞ちゃんのスピーチも終わり
見送りで
「伝わった?」
って聞かれたけど
あれはこれからも応援してくれますか?ってことでよかったのかな...?
うんって言っちゃったけどw
あー
竹内舞ちゃん綺麗だったなあ
ヲタクはキモい
それは確かだ
だけど今の自分はヲタクしてこなかったら居ないし
もっとクソみたいな人生歩んでいたかもしれない
たけうちーむにも会えなかったかもしれない
楽しい時間もなかったかもしれない
そう思うと本当にヲタクしててよかったなって思うアルネ
お世話になったヲタク
ほんまにありがとう
いつか
あんなヲタクいたなあって後世に語り継いでくれればそれでいいよ(何様?)
竹内舞ちゃんもたけうちーむありがとう
それでは
