新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (14話)

須賀川の文化を考える          

伊能忠敬研究会東北支部長

元日本大学工学部講師・化学 

松宮輝明

 

福沢諭吉は、『学問のすすめ』『西洋事情』で学問の大切さと、西洋の文化や考え方、政治や議会など国の仕組みや、新聞、病院などさまざまな文化を紹介しました。ちなみに、「文化」の語彙は、文明開化を訳した福沢の造語です。

福沢諭吉は、1858年、自分の財産をつぎこみ、塾を開きます。後の慶応義塾となります。

身分の上下なく学問を志す青年に教育を授けました。上野の山で新政府軍と旧幕府軍が戦ったとき、大砲の音がひびくなかでも講義を続け、塾生たちに、世の中で何が起ころうとも学ぶことをやめてはいけない、学問は重要であると説きました。新型コロナのなかでも勉学は大切です。

コロナ後に文化や芸術は衰退するのでしょうか。「否」です。ルネッサンス(文芸復興)でレオナルドダヴィンチなど偉大な芸術家の誕生となりました。

213日は「日本遺産の日」です。

日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化、伝統を伝承します。文化庁は2015年、第1回の日本遺産に8件を選定し、2020年まで104件となりました。

福島県では、「会津の三十三観音めぐり」、「安積疎水、一本の水路」です。

日本遺産は、歴史的な地域の風土に根ざし世代を超えて受け継がれている建造物や遺跡、名勝地、祭りなどを文科省が指定します。国指定、選定文化財を必ず一つ含めることが認定の条件です。

420余年の伝統ある松明あかしを、日本遺産の認定と検討しましたが「松明あかし」の歴史を示す史料がなく認定にならないのです。

また、コロナ対策として松明あかし」を伊達政宗との戦い地、釈迦堂川に移すのも一考です。

令和2年6月、会津若松市教委は、会津藩の三名勝庭園、会津藩主保科政之公の「攬勝亭」を文化財に指定すべく文科省の文化財審議官に視察を願い出ましが、文化財としては無理との回答でした。

 800坪の敷地、庭園の姿を残す築山や水路でつながれていた三つの池跡があり、多数の石造物が現存しています。会津地方で2番目に古い1734(享保19)年の句碑や、松平容保公の歌碑などが残されています。 

 攬勝亭を守る会、高瀬会長は「会津は戊辰戦争で歴史を示す史料は無いのです。しかし、[もの]はあります。さらに調査を進め文化財の認定を受けます」と話されました。

 

 須賀川は奥州一の宿場町でした。歴史を感じさせる町並みは、小京都の佇まいを色濃く残しておりましたが、歴史的な建物の「岩瀬郡役所」などが無くなり残念です。

 町並み保存条例により、歴史ある町並みが全国に残りました。岩手県の南部曲がり家、飛騨の高山の古い町並みは、千メートルに渡り保存されており、路地には、青い色の朝顔が鉢植えされており、花の色まで気が配られており、徹底した町並み保存に感心しました。

また、世界遺産の岩手県の橋野遺跡、岐阜県の白川郷の合掌造りの民家などは日本文かの誇りです。

須賀川を、すばらしいと感じるのは町なかの公園です。町の風情は、見るもの、食べる物、泊まる宿、そして文化の薫りが必要です。芭蕉が奥の細道の中で7日間逗留し句会が開かれた町、伊能忠敬が天体観測をした町、薩摩切子より50年も古く松平定信公が作らせた須賀川ガラスの町、田善の町、牡丹の町など十分な基盤があると思われます。

下の川には、ウグイ、鴨、セキレイ、カワセミなど、清流を好む魚や鳥が戻ってきました。

オリンピックスタジオ設計者隈研吾氏の乙字ケ滝のレストランなど残すことができませんでした。しかし、ポイントとして残すことのできる建物がまだ有ります。

 赤瓦の屋根、白壁、なまこ壁、石造りの蔵は、富の象徴であり夢が沢山詰まっています。この蔵を利用しての用途は沢山あります。

 風流の館がオープンします。コンセプトは白河藩の松平定信公が開いた第2の郷学校としての位置付けが必要だと思います。

市民の英知の結集が、白河、郡山や会津に負けない街造りにつながると思われます。文化は街を育てる。魅力ある文化の街造りを考えて行きたいものです。

 

 

写真  420余年の伝統ある「「松明あかし」

 

(完)