自分は知らない作品でしたが、原作を無視した脚本でのドラマ化で漫画家さんが悲しいことになってしまいましたね。

 

原作軽視は個人的にとても嫌でした。

今まで幾つもの作品でガッカリさせられたり、映像の方で気に入って原作に手を出してみて「あれ?」と思わされたり、

良くも悪しくも「原作」といわず「原案」と言って欲しかったと思う作品が沢山有りますよね。

 

本当に酷いのはタイトルとキャラの名前以外全く別物で、コレならオリジナルとして発表すれば良いのに、何故「ドラマ化」だの「映画化」だの謳った?っていうのも沢山ありますよね。

 

「原作レイプ」という言葉が生まれてしまったほど、原作者の分身とも子供とも言える、ともすれば命を削る思いで生み出した作品を、「精神の殺人」と云われる犯罪に例えられるほど、原作者の尊厳を踏み躙る行為が悪びれも無く行なわれていると思うと怖いですね。

 

小説家や漫画家などの創作者と脚本家や映像制作側のそれぞれの言い分もあるのでしょうけれど、

「原作」として作品を作る限り、原作を大切にして欲しいです。

仕事ですから、作品に対して好みか否か、「愛」の有る無しは、作品のファンとしては有って欲しいけれど無くても仕方が無いと思えど、作品に対する「理解」はしっかり有って欲しいですよね。

原作の意図が分かっていないのだろうなと思わされる脚本の作品の多いこと。

以前に大河ドラマでも、歴史小説家の原作で有る作品を、脚本家のせいで大衆小説か、良くて時代小説風にされ、原作の面影が全く無くなってしまっていて非常に残念な思いをした事が有ります。

その作品の時ではないけれど、その歴史小説家さんが 「小説家が歴史を作ってはならない」と講演会で言われたという事が忘れられません。

 

 

作家は身を削るように作品を作り、己の作品を誰よりも愛しているのだから、それを踏み躙るような行為はして欲しくないですね。

ちゃんと話し合いの末の改変なら兎も角ですが、自分や自分の愛している子供の尊厳を踏み躙られる事と変わらない。

原作があっての脚本や映像化作品などはあくまでも原作者という他人様のものを「借りてきて」なのだから、

例えるなら、借りた服を勝手に自分のサイズや好みのデザインに合わせて作り変えて、持ち主が着れないような状態にして返してくるようなものなのだから。