ケアマ根っこワークベンチ

ケアマ根っこワークベンチ

ケアマネ歴25年の経験×AI、利用者本位のケアを探求。「〇〇したい」という願いを原点に、AIとの対話を通じて実践知を発信し、真の希望を尊重する支援を共に考えます。


ケアマネジメントにおいて「仮説」という言葉がよく使われます。
効率的なアセスメントのために、あらかじめ仮説を立てて情報を集めるべきだという声も耳にします。
しかし、私はあえて言いたい。
「仮説を踏まえた情報収集」が、単なる答え合わせになっているのなら、それはケアマネジャーとしてやってはいけない仕事である、と。
私が考えるケアマネジメントにおける「仮説」とは、以下のようなものです。

仮説とは、
利用者の望む暮らしと現状とのズレに着目し、
何が解決されれば利用者の望む暮らしに近づくのかを、
利用者と共に探求する合意形成の過程の中で描かれる、
暫定的な道筋である。
それは、原因を特定するための前提でも、
結論を先取りするための見立てでもない。
仮説は、利用者の語りと意味が動き続けることを支えるための、
固定しない理解である。

仮説は支援者が一方的に立てるものではなく、
利用者との関係性の中で立ち上がり、
状況の変化とともに常に更新されていく。
したがって仮説とは、
正しさを証明するためのものではなく、
利用者の望む暮らしに近づくために、
共に歩き続けるための仮の地図である。
なぜ「仮説に基づいた情報収集」は無意味なのか
もし、私たちが「この人は高齢で独居だから、寂しがっているに違いない」という仮説を握りしめて訪問したらどうなるでしょうか。
私たちの耳は、「寂しい」という言葉だけを拾い、そうではない利用者の力強さや、一人の時間を楽しむ感性を見逃してしまうでしょう。
これは「情報収集」ではなく、自分の偏見を正当化するための「証拠集め」に過ぎません。

仮説を「結論の先取り」として使った瞬間、アセスメントは命を失います。利用者の人生を、既存の支援メニューに当てはめるための「作業」に成り下がってしまうからです。

本来、仮説とは「正しさ」を証明するためのものではありません。
「今、私はあなたをこのように理解していますが、本当のところはどうですか?」と、利用者に問い続け、共に歩くための**「仮の地図」**です。
地図は、実際に歩いてみて、目の前の景色と違っていれば書き換えなければなりません。
情報収集とは、立てた仮説を裏付けるためではなく、立てた仮説を心地よく裏切ってもらうために行うものであるべきです。
共に歩き続けるために
ケアマネジャーが一方的に描いた立派な地図など、利用者には必要ありません。
不完全であっても、共に迷い、共に書き直し、一歩ずつ「望む暮らし」へと近づいていく。そのプロセスそのものがケアマネジメントなのだと信じています。
固定しない理解を持ち、常に更新し続ける勇気を持つこと。
それが、私たちが専門職として、利用者の人生に寄り添うということではないでしょうか。