横に立つケアマネ論

横に立つケアマネ論

25年のキャリアで見出した、ただ「横に立つ」という支援の形。
利用者が眺める景色を、同じ向き、同じ温度で見つめながら、共に悩み歩むプロセスを大切にしています。
制度の枠を超えた「本来のケアマネジメント」とは何かを、現場の息遣いと共に綴るブログです。


1. 「標準化」の先にある未来を直視する
現在、国が進める「適切なケアマネジメント手法」の普及により、ケアマネジメントの標準化が加速しています。「現状→原因→解決策」というロジックは、支援の質を一定に保つための有効なツールとされています。
しかし、冷静に考えれば、この「ロジックに基づく標準化」こそが、AI(人工知能)が最も得意とする領域です。整合性の取れたプラン作成や、過去のデータに基づいた課題抽出であれば、近い将来、AIが人間を凌駕する精度でこなすようになるでしょう。
もし、私たちの専門性が「決められた手法を正しくなぞること」にあるのだとしたら、ケアマネジャーという職業は、AI化の波に呑まれて消えていく運命にあります。

2. 手法という「枠」が奪うもの
標準化を急ぐあまり、現場ではある種の「思考の硬直化」が起きていないでしょうか。
「手法」という正解の枠組みに固執するあまり、その枠からはみ出した利用者の複雑な感情や、割り切れない人生の背景を、無意識に切り捨ててはいないでしょうか。
手法という鎧を着込み、効率的に「解決」することばかりを優先すると、支援者はいつの間にか「教える側」「導く側」という高い場所に立ち、目の前の人を記号として扱うようになってしまいます。
この「垂直な関係性」からは、真の信頼は生まれません。そして、こうした表面的な管理業務こそが、最もAIに代替されやすい「作業」なのです。

3. AIには到達できない「水平的」な技術
AI時代にケアマネジャーが生き残る道は、標準化されたレールの「外側」にあります。それは、人間にしかできない高度なソーシャルワークとコミュニケーションの技術です。
行間にある「想い」を拾う: データ化できない沈黙や、言葉の端々に滲む葛藤を感じ取り、その人の物語(ナラティブ)を丸ごと受け止める力。
泥臭い「調整」という芸術: 正論だけでは動かない人間関係や地域の中で、対話を重ねて納得解を見つけ出す調整能力。
「傍らに立つ」という覚悟: 解決策を提示するだけでなく、答えのない不安の中にいる利用者の横に、一人の人間として水平に立ち続けること。
これらは、マニュアル化もAI化も不可能な、極めて人間的で「職人的」な技術です。

4. 結び:本来のケアマネジメントを取り戻す
「適切なケアマネジメント」と定義された枠組みの外側にこそ、本来のケアマネジメントが眠っています。
私たちは「手法」という便利な道具を使いこなしつつも、決してその道具に自分たちの感性まで支配させてはなりません。標準化という安全な枠から一歩踏み出し、名もなき、しかし確かな「人生の重み」に向き合うこと。
AIが『適切な答え』を出す時代だからこそ、私たち人間は『答えのない問い』に寄り添う技術を磨かなければなりません。その「外側」にある営みこそが、ケアマネジャーという職業を未来へ繋ぐ唯一の光になると信じています。