なかなか触れづらい政治の話題①

 

こんにちは!てるです。

ブログを書いていこうと思ったので書いてみようと思います。

というのも、自分の考えや思想を他人と共有する場が、現実からネットに移行している昨今では、赤ちょうちんの下で飲んだくれて話すより、ネットに残したほうが自分の実績として残せる・自分のやったことを将来の誰かに見てもらえるからです。

この「不死性」はサーバーが生きていれば続きますので、amebaが残っている限り自分も生きているのだと考えられます。

 

哲学的な話は置いておいて、日常生活ではなかなか話題に上がらない政治の話について自分なりに意見や考えを書いていこうと思います。

 

  「政治家に失敗は許されるか否か」

そもそも政治とは?と言いたくなる人もいるでしょうが、そんな人はまずWikiを見てください。

すでにまとめている人がいますから。

 

 

 

ただ、これでは難しい言葉が多すぎてわからないよ、という人に向けて一文で政治とは何か、言いたいと思います。

ずばり

土地やモノを持ったヒトの集団が、ある集団をまとめるための手段をいろいろ考えること

です

ここで「ある集団」とは自分が属する集団でなくても良い、という条件があります。

そうやって集団を大きくしたり、操作したりするのがいろいろに含まれています。

 

すなわち、そんな政治を行う政治家たちは集団をまとめるリーダー的立ち位置にいると定義できます。

実際私は選挙で選ばれた彼ら彼女らを国のリーダーとして認識しています。

 

そんなリーダーに「失敗は許されるのか否か」

今回の主題はこれについて書いていきます。

 

 

  組織はリーダーが持つ正義によって変貌する

まず結論から先に言わせてもらうと、

政治家だって失敗してもいいと思う

と私は考えています。

 

だって人間だもの。失敗は誰にでもあります。

国内の最近の事例で言うとデジタル庁がマイナンバーカードと紐づける口座を間違えた、なんてことがあります。

しかし、デジタル庁は失敗した後に反省対策を講じています。

 

 

反省と対策が出来るなら、組織内で失敗による混乱が生じても、組織の秩序は一定の水準で保たれます。

むしろこれらをやってくれるならある程度混乱しても大丈夫です。

もちろん未知のものに対する不安感や心配を持つ人もいると思います。

そんな人たちのためにマスメディアを使った正しい情報の伝達が政治には必要なのです。

 

 

しかし政治で起きた失敗は時として許されないものもあります。

それは「組織に属するヒトに大きな損害が生まれたとき」です。

分かりやすい例で言うとカンボジアのポル・ポト政権が進めた大虐殺があげられます。

 

 

ざっくり言うとポルポト政権が行ったことは「文化人の排斥」です。

文化人の排斥により、組織に属するヒトの知識水準が一定以下になることで、幸福を感じる水準を下げようとしたのですね。

そうすれば、当時の時点で不幸せだと感じている人も、幸せと感じることができるようになり、国民がみな幸せになるという思想を考えたのでしょう。

(もちろん独裁的に国を支配したいという欲はあったかと思いますが。)

その思想をカンボジアという組織に強要した結果が大虐殺です。

 

組織を動かすためには失敗はつきものです。

とはいえ思想の強要や過度な規制は反発や多大な損害を生み出します。

 

すなわち、リーダーの正義によって国を動かす方法はいくらでもありますが、混乱の大小によって国が破綻する可能性も考えて、政治をする必要がある、と言えます。

 

 

  現状の日本国内

では現状の日本の政治を振り返ってみましょう。

最近では裏金問題で内閣への信頼度が低下していますが、ここ数十年似たようなことをして退陣した政権はいくらでもあります。

もちろん政策の失敗でリーダーを任せられないとみなされて干された政治家もいるでしょう。

 

しかしながら、私はこう言いたい。

干す前に責任を取らせろ

 

混乱が生じたのなら秩序を戻すまでがリーダーの役目です。

別に失敗してもいいですし、戻せないからほかの人に頼るのも構いません。

人間は持ちつ持たれつです。

ですが、国民の混乱を放置した(ように見える)まま消えてはいけないと思います。

これを放置した結果、数十年間経済は停滞し、国際的な流行にはおいていかれ、残ったものは観光とサブカルチャー。

これでは取れる税金も取れませんし、国民も払う税金がないので、国として破綻するのは目に見えています。

 

もちろん2,3年後に日本が破綻することはないでしょうが、このままではいけないのは確かです。

では、どうするべきか。

動くべきです。

どう動くか?生きていくために動くんです。

具体的には、今後人口が減り、機械的作業がロボットやAIに移り変わる世界で、生き抜けるスキルを磨くことです。

 

現状の日本の政治では経済が悪くなることは抑えられても、良くなることは期待できません。

ならば、自分や自分の身内だけでも生き抜けるように動くことが不可欠です。

 

  まとめ

いかがでしたでしょうか。

自分の考えや思想に共感した人、批判する人、色々いると思います。

思いのたけを感想にぶちまけてください。

ただし、誹謗中傷はいけません。

私が傷つくのでメッ!です。

また、書いてほしい内容等あればコメントください。

 

最後に書いた動くことについてです。

政治家になれとは言いません。

ですが、一定の裁量で組織を動かせる人間になることは必要です。

リーダーになれとは言いませんので、隊長程度までなれるように努力してみてください。

社会の歯車でいられるのはもう何年もありません。

 

日本の政治については私が政治家になるので応援してください。

失敗はするかもしれません。

助けてもらいつつ、責任も取って、いろんなことを推し進める。

そんな人間が増えてほしいです。

自分は今そうしているので、今後より大きな舞台に上がるときは応援してください笑

 

今回は「勉強が楽しくない」「勉強が嫌い」という方へお伝えする勉強のやり方について書いていこうと思います。

 

先に短くまとめておきますので、時間がない方、特筆して読みたい箇所が絞られている方は、ここを読んで次の記事、ほかの記事を探すことをおススメします。

 

 

短時間で読める今回のまとめ

1.勉強とは:努力して何かを習得すること

2.勉強にはエネルギーが必要:エネルギーとは興味

3.興味を見出す方法:「なぜ(how)」「なに(what)」を考える

具体的には①原理原則②因果関係の成立について着目することで興味が湧いてくる。

 

 

 

  1.勉強ってなに?

はじめに勉強って何なのか、話していこうと思います。

 

勉強とは次のような意味で定義されています。

 

勉強

学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で 勉強 する」「音楽を 勉強 する」
物事に精を出すこと。努力すること。
「何時までもこんな事に―するでもなし」〈福沢・福翁自伝〉
経験を積むこと。「今度の仕事はいい 勉強 になった」

商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って 勉強 しておきます」 

 

(出典:コトバンクより引用;

 

 

 

私にとって「勉強」とは主に1~3の意味を指していると捉えています。

つまり、「勉強する」ということは「努力して何か(技能・経験・能力)を習得すること」と言い換えられると思います。

すなわち、勉強には努力するための「エネルギー」が必要なんです。

 

 

  2.勉強するためのエネルギー

では、勉強に必要なエネルギーというのは何なのか。

それは「興味」です。

興味がなければ勉強はしませんし、日常で使うこともありません。

したがって、たとえ無理に頭に詰め込んでもすぐに忘れてしまうでしょう。

 

それゆえ、新しく始めた習慣が三日坊主になったり、宿題をやらなかったり、勉強をしなくなったりするのです。

 

逆に、興味のあることについてはどうでしょう?

音楽、美容、スポーツ、ゲーム、アニメ、などなど人によって趣味や興味の範囲は異なります。

そして興味のあることについては自分から知識を集めていますよね?

好きなアーティストの歌詞を覚える、自分の顔を綺麗に見せるコスメを探す、プロスポーツ選手のプレーを見て真似をする、やってるゲームの上達法を調べる、などなど知らず知らずのうちに調べていること、ネットサーフィンしていることがあると思います。

 

それがあなたが興味を持っていることです。

 

 

  3.興味を見出す方法

では、勉強したいこと、まだ知らないこと、勉強が足りていないことについて、興味を見出すにはどうすればよいのでしょうか?

それは、勉強したいことについて、「なぜ」「なに」を考えることです。

 

 

なぜ

はじめに「なぜ」とはなにを指すか書いていきます。

なぜ」とは主に、どうして、どうやって、どのようにして、などの疑問形で使われますが、基本的に聞いているのはある事柄に関する原因です。

 

具体例を挙げてみましょう。

 

例えば、ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て「なぜリンゴは木から落ちるのだろうか?」と考えました。(この逸話には諸説ありますが、それは措いておきます笑)

ニュートンは、この「リンゴが木から落ちる」という事柄に関して、何かしらの力が働いたからである、という原因を考えました。

さらにニュートンは、何かしらの力についてどのような力が働いたのか?」と深掘りしてみました。

そして、「リンゴに力が働いた」という事柄に関して、重力が働いたからである、という原因を考えました。

 

この重力というのは古典物理学における原理原則ルールであり、基本となっています。

つまり、これ以上深掘りできないところまで来た、ということになります。

研究者でない限りは、原理原則;ルールから考えられる因果関係さえ押さえておけば、勉強はできるようになります(断言)

 

※因果関係とは、ある事柄に関して成立する、原因結果の関係性について、のことを指します。

具体例について、関連する場所を同じ色にしていますので、参考にしてください。

 

 

なに

つぎに「なに」について書いていきます。

なに」とはある行動に関する目的・動機についてを指します。

 

先ほどの具体例の続きで「なに」について考えていきましょう。

ニュートンは、なんでリンゴが落ちたことを疑問に思っていたのでしょうか?

ニュートンが、重力について考えたその目的は何だったのでしょうか?

 

私はニュートンではないので、「絶対この目的で重力について考えていた!」ということは言えません。

しかしながら、研究をかじった身としては、自然現象について考えることで新しい原理原則;ルールを見つける、という宝探しがしたかったからではないか、と想像できます。

宝探しをしたいという目的であれば、自然現象や哲学などについて考え自らルールを定義づけていったという行動の因果関係が成立します。

 

 

しかし、普通の勉強では研究のような知識の神髄、奥深くまで知る必要はないです。

もう少しわかりやすい例で例えましょう。

 

例えば、豊臣秀吉はなぜキリスト教を排斥したのか?などが挙げられます。

 

 

豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた後、しばらくは織田信長の考えを継いで、キリスト教の布教を容認していました。

しかし、「長崎がイエズス会によって要塞化された」という知らせを聞いた秀吉は、「豊臣の独裁国家が崩れる可能性がある」と考え、異教徒排斥「バテレン追放令」を出した、とされています。

すなわち、「豊臣秀吉は自分の国の政治を操られたくなかったからキリスト教を排斥した」という因果関係が考えられます。

 

この目的と行動因果関係を理解することで、特に人がかかわった事柄;歴史や心理学(教育・犯罪・etc...)、について勉強するときの理解が深まります。

 

 

以上「なぜ」「なに」について解説しましたが、「知識を深めていくという行動によって興味が湧いてくる」とまとめることができます。

そして、その具体的な方法として①原理原則について覚える②因果関係について考える、という2点を提示しました。

これをするだけで、興味の湧き上がる度合いは変わるし、理解が深まるため、勉強意欲の促進と、勉強自体の進捗の促進、がおきます。

一石二鳥ですね!

 

 

 

  まとめ

いかがだったでしょうか。