社会的養護について、学んでいます。
「こども時代のすべてを施設で暮らす」という子どもが、
少しでも減って欲しいと願っています。
Youtubeでエイサーを楽しんだ我が家。
そして、改めて思ったんです。
こうした独特の風土がある沖縄。
その土地から、HさんをB県C市に身柄を移そうとしたコザ児童相談所のA弁護士は、どうしてこんな酷い方法を思いついたのだろう?と。
ジソウが感情では動かないというのは判っているけれど、やっぱり考えてしまう。
「親の転勤についていく」というなら、わかるんです。
でも、Hさんは実母さんとは一緒に生活したことがない。
事情はどうであれ、結果として今まで、面会もしていなかった。
そんな状況で身柄を移送して、しかもコザ児相が責任もってフォローする訳でもない。
(B県C市まで、とんでもない距離。「ちょっと様子を見てきます」という訳には行きません。)
そして、現状、Hさんには拒否権がない。
大人だって、希望しない異動や転勤で病む人がいるじゃないですか。
「左遷」っていう言葉もあるくらいですし。
(そういえば、児童相談所の職員さんのメンタル理由の休職人数が多いそうな。)
(組織として、メンタル対策が乏しいのかな・・・。裁判もありましたし・・・。)
仮に実母さんがそれ(県外に身柄を移送する)を望んだのだとしても。
「まずは面会を目標に、来沖しましょう。」って
そんな風に諭すのがジソウの仕事ではないのかな?
仮に、里親さんに何らかの意図があったとしても。
実母さんにとっては空振りだったとしても。
「実母がHさんに会いたくて、はるばるB県C市から沖縄にやってきた」という事実は、告知をしていないという里親さんの心を動かしたのではないかと推測します。(希望)
「 『 母親 』 として会えないなら、沖縄に行きません。」
そんな風に、実母さんは答えたのかな?
仮に会えないとしても、せめて遠くから元気な姿を見るだけでも、あの子のそばに行きたい。
あの子が通う「○○幼稚園」を見てみたい。
私ならそう思うのだけど・・・実母さんは、そうではなかったのかな?
それとも、沖縄を訪問することそれ自体がためらわれるほどの、何かトラウマのようなものがあったのだろうか?
私なら。
一目だけでも、良い。
元気な姿を確認したい。
一緒の時間を過ごすことはできないけれど。
そばにいることはできないけれど。
あなたを大切に思う気持ちは、今も変わりはない。
そんな風に思いが伝えられたら。
ただ、それだけです。
お読みいただき、ありがとうございました。