社会的養護について、学んでいます。
「こども時代のすべてを施設で暮らす」という子どもが、
少しでも減って欲しいと願っています。
一つ前のエントリは、保健師さん向けの企画でした。
このタイトルを見て、思い出していました。
C先生は「ジソウに近いところで働いていた」らしい。
(まぁ、それをいったらA先生、B先生は実際に中で働いていた方です。)
そのお話を聞くのが、私の楽しみになっています。
第一線で支援にあたっておられた立場の苦悩もチラリ。
C先生がポロリと零したんです。
「ある時期を境に、支援の在り方が変わってしまった」
「 『支援』 から 『保護』 に舵が切られた。それまでのやり方と真逆だった。」
「現場としては抵抗したけれど、覆ることはなかった」
具体的に〇年頃~とはおっしゃっていなかったけれど、推測するに「児童虐待防止法」が施行されたあたり。
C先生のさらに「上の先生」が、時代の流れには逆らえない、時を待てとおっしゃったそうです。
私自身、里親登録を初めに考えたときは、「虐待する親」への処罰感情が強かった。
そんなに多い訳ではないけれど、該当するような事例を見聞きして、気持ちが変わってきたように思う。
Awaさんの「フランスのエデュケーター」の概念にも通じるような。
テレビの事件報道における、MRさんを示唆するものもあり。
以前からわかっている人はいたのだろうけれど、公には語られていなかったこととか。
とは言っても、時には私の中でも気持ちは揺れるのですけどね。
お読みいただき、ありがとうございました。