社会的養護について、学んでいます。

「こども時代のすべてを施設で暮らす」というケースが、

少しでも減って欲しいと願っています。

 

 

いつも勉強させていただいている、とある精神保健福祉士さんをリブログします。

 

※抜粋です。

 

<治す人>と<治される人>です。

カウンセラーは、自分の心のポジションが見えていないとなりません。これが見えていないときに、クライエントはカウンセリングに来なくなったり、カウンセリングがうまくいかなくなったりします。

 

 

一番身近なところでいう上下関係は、ほかでもない親子関係です。

私たちの人生初期の、上下関係はそこから身につけます。

 

 

カウンセラーとは、クライエントからしたら親のようなものになることがあるのです。

クライエントは、親に頼ることができないから、その解決をカウンセラーに委ねるのですから、親代わりの関係になることがあるのは、想像できますでしょうか。

 

 

私は、カウンセリングを教える立場になることもあります。

カウンセラーのクライエントへの関わりかたを見ると、カウンセラーの母子関係も見えてくるのです。

 

 

 

 

私は心理職ではないので、専門用語は判るようで判らないことも多々あります。

判っているような口調で偉そうに言及してしまうこともある、ニワカです。

 

ですので、いろんな「お勉強」の場に参加したとしても基本はジッと聞くだけ。

 

仕事で「援助職」と呼ばれる方々と接することもあるけれど、

現場の方々も悩みながら、対象者の方と接しているんだなぁと感じることも多々あります。

 

 

 

 

とある方のブログを拝読して、

クライエント→カウンセラーとなる学びをされている方と出会うことができました。

 

自分自身が苦しんだ経験があるからこそ、「人さまのお役に立ちたい」

そう思って、一念発起される方もおられるそうです。

 

 

リンク先の「とある精神保健福祉士さん」も書いておられます。

 

>(往々にして、対人援助職の人は、お節介焼きが多いものです)。

 

 

・・・とここまで書いてきて、

とある里親会の里親サロンの居心地の悪さが、どうしてなのか判った気がしました。

厳密には、里親さんは援助職ではないけれど。

 

 

年長者であるとか、経験が長い方に敬意を払うのは自然のことだけど、

経験が浅い人の意見を「わかってないねぇ」とばかりにマウントをとる様や

ただ児童相談所側の意見を代弁するかのようなサロンを眺めていると、

ベテランと呼ばれる人達は何をしたいんだろう・・・?と違和感しかない。

 

フォスタリング機関の職員さんにも、同じ気質の人がいるから気が抜けない。

私・・・講義を聴きに来たんじゃないんだけどな・・・と思うこと多々あり。

 

 

参加者も、それぞれ求めるものが違ったりするから、やっぱり気が抜けない。

 

 

・・・ということで、今の「当地域の里親サロン」は、

「今の私」にとって癒しの場ではないため、参加していません。

 

 

それでも、よその地域の活気のある里親サロンの話を読んだりするのはとても楽しいです。

 

里親月間も終盤ですね。

皆様お疲れさまでした。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

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