いろいろな方のお話をうかがって、勉強させていただいています。

 

養子の立場で発信されています。

私がうまく言語化できなかった部分を、表現してくださっています。

 


 

 

日本財団ハッピーゆりかごプロジェクトの

実親の同意がなくても特別養子縁組が認められたご家族のインタビュー

https://happy-yurikago.net/2014/07/1252/

という記事

 

認められたとは言うけれど7年もたってから

それも裁判に訴え却下される経験もされながら

 

生後11日目から迎えて

一つ一つの仕草に笑い癒されて

また夜中に何度も起きておむつかえたりミルクあげたり

お熱が出たりすればわがことのように付きっ切りで

ぐずればずっと抱っこして

そんな日々を積み重ねてこられたのだろう

 

その間実親から一切連絡はなく

3年たっても裁判所の答えは「実親の同意するまでには至っていない」

 

至る、とはどこに至ればいいのだろうか

実親ははるか頂にいるというのだろうか

 

いわゆる法律用語なのかもしれないが

子どもにとって抱っこして一緒に眠ってくれたのは誰だというのか

 

そして何の連絡もない実親

その向こうでは子どもが制度をうけることができるように

養い親が右往左往しているというのに

このような状況で実親はなんでつながっていたいと思うのだろう

つながってというより

「親」という立場を手放せないのだろう

罪悪感もあるかもしれないが

「親」という一つの顔が自分のよりどころのような感じになっているのかも

親の役割ではなく名前だけ

けど実親ということでみんな(ちゃんとしたえらい感じの大人たち)が

自分のところにきてくれて

自分のジャッジを待っている

今まで自分のこと聞いてくれて

自分の言った通りに大人が動くようなことあっただろうか

「親」その立場でいさえすれば私が決める人でみんながそれに従う

まるで社会から認められているような感覚に陥ってることはないだろうか

もしそうなら(子どもではなく)「親」という席を手放せるだろうか

 

ただもうそんな実親の視線の先に子どもはいない

 

審判の時間は大切だと思う

うちの父も私が来た日と戸籍上の日付が違うことをぶつぶつ言っていた

(このお話のブログ https://ameblo.jp/keica-tokiwa/entry-12561584732.html

けれどほいほい認めるわけにはいかない

やはりある程度の時間暮らしてみること大事なことだとは思う

 

ただそこで見てほしいのは

その視線の先になにがあるか、ということ

ちゃんと子どもがいるのか

それとも自分なのか

何もみてないのか

 

子どものための制度というなら

実親でも養い親でもどちらでもいいけれど

その視線の先に誰がいるのか何があるのか

を見ていくことが大切なんじゃないかと思う

 

今回のインタビューを読んで

裁判所というか公の判断にこんなことがあるのかと驚いた

このご両親は同居人としての子どもの行く末を想像し

今後のこの子の先行きを案じて

特別養子縁組が必要だと踏ん張ってこられた

その視線の先にはしっかり子どもたちがあったというのに

なにが「至っていない」というのだろうか

 

一目ではわからないにしても

数か月という中で

(実親養い親関係なく)誰が自分にまなざしを向けてくれてるか

子どものとして眺めてほしい

 

このご両親よくよく頑張ってくださったと感謝です

 

 

普段の生活をしているだけなら、里親だろうが養親だろうが支障は、

そうそう無いんです。

 

問題は何かがあったとき。

日本財団の元記事の中にもありますが、

縁組さんでも里親さんでも

似たようなお話は耳にしたことがあります。

 

「私達に何かあったとき、この子を守れない」

「法律上の親子でないことで、

私達の両親(こどもにとっての祖父母)には権利(義務)がないから、

このまま、この家に暮らすことができない。施設に行かされてしまう(可能性がある)」

 

この”この家に暮らすことができない”は、

単純に「住居」という意味だけではありません。

 

御近所さんや親戚一同。保育園のお友達や先生。

生活している中での人間関係があります。

学童期になったこどもなら、意見表明ができるだろうけれど、

どうして乳幼児さんだと問答無用で

住み慣れた場所から引き離すのだろう。

それだけ、「何も判っていない」と軽んじられているように思う。

 

 

この国は、こどもの育ちを守ってくれるのだろうか。

施設に預けて終わりにしないで欲しい。

 

 

コロナの出口戦略× ロードマップ○という言葉があったと思います。

 

社会的養護の措置者である児童相談所は、どう考えているんだろう。

こどもの人生は

出口=「制度としての18歳あるいは20歳の満期措置解除で終わり」ではありませんよね。

 

家庭裁判所の審判も。

「安全な場所に預けているから、遺棄ではない」

本当にそう思っていますか?

「安全な場所」って、衣食住が足りて生命が守られればそれで良いのですか?

心の育ちを、どう考えているのでしょう。

 

 

施設が酷い場所だとは思っていません。

でも、限界があることは事実です。

 

 

 

 

 

 

 

実親さんが事情があって施設に預けていることを、「非」と決め付けはしません。

せめて、こども達が親御さんに愛されていると実感できるよう、

最低でも月1回の面会には来て欲しい。

それができないなら、家庭的養育にシフトして欲しい。

みんな、「自分だけ」を抱っこしてくれる存在を待っています。

 

 

そう、寄付・寄贈も一緒。

「大変だね。」

「気の毒だね。」

「何かのお役立ちたい。」

そうは思っても、行動が伴わなければ、相手には伝わらないんです。

相手に伝えるには、行動するしかありません。

 

 

 

 

 

ライブカメラで、

新生児さんのお顔を拝見することができます。

 

http://www.tani.com/wakuwaku

 

新生児室の多くの赤ちゃん達は、お迎えのパパママが来ます。

新生児室から直接、乳児院に行くようなことがなくなって欲しいと、

切に願います。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ文句は言いますが、

里親制度は必要だと思っています。

里親Dさんを応援しています。