メディアが無視するパラリンピック

オリンピックの興奮もどこへやら、といった最近ですが、
いよいよパラリンピックが始まりますね。
ということで、ケーブルなど契約していないうちでは
さっそく地上波テレビ番組表を見てみました。
…と、ない!
ちゃんとした体制で放映しようというテレビ局が1個もありません。
国営放送のNHKでさえ、1日に45分だけのハイライト放送。
しかも昼間だったり、夜中だったり、誰も見そうにない時間枠。
どうなってんでしょうか?
無能タレントが自分たちで楽しむだけの番組は
あいかわらずゴールデンに組まれてます。
各テレビ局側の理由はおそらく
①国民的関心が低い
②よってスポンサーがつかない
③いまだに「見世物小屋」的雰囲気になりがち
④パラリンピック自体、たいしたものと思ってない
というところでしょうか。
日本選手は135人も出場します。
役員も合わせると250名以上が国費で渡航。
メダル候補も多数。
なのになんでNHKでさえそれをきちんと取り上げないんでしょうか。
①の国民の関心が低い
というのは理由になりません。
先のアーチェリーやフェンシングだって、日本人がメダルを取るまでは
国民からの関心どころか、認知度はかぎりなくゼロでした。
テレビ局の放映のしかたで、十分関心は集まると思います。
②スポンサーがつかない
というのはどうでしょうか。
これは影にいる大手広告代理店自体が、
このパラリンピックを見切っているので、
スポンサー獲得に乗り出していないのです。
テレビ番組はテレビ局が独自に考えて作っているものではありません。
ほとんどがこうした代理店が企画し、予算を集め、製作させるのです。
しかし、放映するつもりになれば、
企業イメージ的にも、パラリンピックを後援することはプラスなはずです。
③見世物小屋的雰囲気
昔は身体的に通常と違う人を蔑視し、
対象となる人たちもそれに甘んじ自らを呪っていたかも知れません。
観ている側も、「かわいそうに」とか「気持ち悪い」など
感情を波打たせることがあるのかもしれません。
同情しようが、かばおうが、これは差別です。
そういう法的なことはともかく、
ほんとの意味での「個性の尊重」に関しては
日本はかなりの後進国です。
世間にはいろんな人がいるし、自分だって人に言えないような
欠点やクセ、身体的不安があるのに。というか
それがあるからこそ、それを思い出させるようなものは観たくないのかも?

④パラリンピックは娯楽としてたいしたことない?
実際にパラリンピックを観戦してみると、
その迫力、純粋な技の高度さに圧倒されます。
各選手の頑張りは、先のオリンピック選手たちに引けをとりません。
同じ事をするのに要した努力はもちろん彼ら以上でしょう。
なのにテレビ放映されないことで、
視聴者はエクサイティングな番組を見逃すわけですし、
選手たちはますます、スポーツを続けるためのスポンサーや
ヴォランティアの協力が得られなくなるという悪循環に見舞われます。
自分がつい、なんでも欧米のいいところと日本の遅れてると思えるところを
比べて、非難してしまうようなクセがあることは認めます。
しかし、新世代たちが余り夢を抱けず、
努力すること・我慢することに、とても低い限度しか掲げていないからこそ、
自分の持つ一縷の可能性を広げようとするアスリートの姿は、
天才に生まれなかった、何億ものフツーの人々に
やる気を起こさせ、試す勇気を与えるのでは?
それだけでなく、国力にも頭打ち感のある日本という国自体を
ひとつにまとめる効果は絶大だと思います。
以上の理由で、パラリンピックを壮大な式典として放映しないというのは
かなりギモンですし、残念です。
エリート大学を出て、小さくまとまって、
扇情的なニュースだけ流し、「タレント」と寄生しあって生きているメディア。
視聴者や読者を「教育する」というのは、メディアの大きな役割だと思います。
ならば、手がなかろうが、知的に遅れていようが人それぞれ。
自分のできる限りで頑張るのが大切ということ、
個性を生かすということ、そうしたことを説教ではなく伝えるいい機会なのに、
そんな意識はまったく見られません。
国営放送であるNHKがそれをできないなら、
受信料値下げをしても国民からの理解は得られないと思います。
報道も意見もネット任せの各放送局っていったいなんの役に立つんでしょうか?
寂しい年寄りたちのBGMがわり?
疑問も批判も抗議も出てこない国民性にも、やっぱり大きな失望を抱きます。
