ヘンは素敵

今、日本は個性の時代といわれてるようです。
個性ってなんですかね?
その人らしさ?
ひとと違ってるところ?
持って生まれたDNAの傾向にしたがって、
思考したり行動することによって生まれるものかもしれません。
前回話した選択も、個性の表れですよね。
最近、少し年下の連中と話してて、よくこの言葉を聞きます。
個性は英語で言えばユニークであること。
uni はラテン語でひとつ。
SMAPの昔の歌ではありませんが、オンリーワンであることです。
一人の人間でもいろいろな性格があります。
そうした組み合わせを数えてみたら、きっと何十億種類OR無限大。
そう、世界でたったひとつだけの性格をみんな持ってますよね。
でもこの言葉を聞くたびに受けるのは、
何か他の人とは違うこと、変わってるところを指しているような印象。
無理して人と違えようとしなくても
同じことをあなたがしてるだけで、もう他の人とは違います。
個性とよく混同されがちなモノが自我。
幼児期にはもう自分をひとりの人間と認め、
鏡の中の自分を自分と認めるようになります。
思春期にはこの自我が成長し、発達して、
とにかく人と違うんだ、自分は特別なんだ、と思うようになります。
少なくともそうありたいとどこかで願うようになります。
たとえ、○○ちゃんと同じ髪型にしたい、とか、
○○選手と同じシューズが欲しい、とか思っても、
それは自分を特別なものに演出する手だてにすぎません。
さて、個性的といわれるのはいいけど、
ヘンと言われるとちょっとイヤですよね。
日本では個性的という言葉さえ、半分疑ってみたくなるくらい、
ヘンという意味合いをこめて使う人がいます。
「あの人って…、個性的、よね」
そのくらい、団体の中で目立つとか、社会の中で浮く、というのは
ちょっと遠慮したいと思う人が多いんでしょう。
しかし、この2つの言葉はほとんど同一語ではないかと思います。
ヘンも慣れれば個性的。
社会に害がないなら、その人らしさとして受け入れたいもんです。
もちろん友達として合うか合わないかは自分の個性しだい。
妙に鍋蓋のように合う個性もあれば
なんか自分の根底にある怖れを刺激する人もいます。
その場合は否定はしないけど近寄らなければいいだけ。
TPOなんて言葉もあります。
英語圏では使わない表現です。
もちろんTime, Place, Occasion の略です。
時と場所と場合を考えろって言われます。
出る釘は打たれるから、朱に染まれば赤くならざるを得ません。

ワシの若いころからの友人に
「ヘンは素敵」を提唱(?)、自認する人間が2人いました。
もちろん若い頃の「個性」ですから、
観念的には「人と違うこと」「変わってること」
自意識過剰なだけで、年上から見たら、それほど差はなかったと思います。
人にヘンって言われることがなんとなくうれしかったりする人がいます。
それは自分にとっては、人と違うこと。
自分は特別で、人より目立てるところだと思ったりします。
今では、
ひとりは自殺し、ひとりは某有名大学の助教授です。
まさに明と暗を分けた個性を持ったヘンでしたが、
どちらも自分の内部深くにあるコンプレックスから来た
「ヘンは素敵」でした。
明と暗を分けたのはもしかすると男女の違いだったかもしれません。
女性がヘンであることより、男性がヘンであることの方が厳しく罰せられる社会です。
文明が進めば人々の多様性も進みます。
選択肢が増えるからです。
先進国ほど人々のニーズは増え、個性があふれます。
ひとつひとつ色は違っても、細かく集まれば、ひとつの色。
それほどたいした違いはわかりません。
でもミクロ的に観れば、周りは個性のオンパレード。
ですから先進国では行動や思考に柔軟性が求められます。
これは女性のほうに分のある性格。
社会はメス化しつつある、という説もうなづけます。
男性のほうが変化にうとく、対応力が弱いように見えます。
自分と違うものに対する本能的な嫌悪(=怖れ)や敵対心。
こうしたものに日々さらされた「ヘンな彼」は傷つくことが
実は多かったのかな、と今では思えてきます。
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仲良しのブロ友クルムさんに刺激され、
最近またジム行きを復活したワシ。
こないだもしかしたらこの「ヘンな人」扱いをされたかもしれません。
順番待ちをしていたマシンがあいたので、さて、と思ったところ、
備え付けのタオルで、とても熱心にシート部分を拭いてくれてる前の男性。
汗などかいてるようにも見えない水気のない50代といったところでしょうか。
「そんなに丁寧じゃなくてもいいですよ~、別に舐めるわけじゃないですから♪」
こんなにマジメなブログを書いてるにもかかわらず、
とかく四角四面に見える人をからかいたくなる性格。
知らない人にも冗談を言ってしまう口の軽さ。
マックなどのファストフード店のアルバイトさんからも白い目が返るほど。
冗談のつもりで言ったひと言(いやふた言?)なんだけど、
「なんだこいつヘンなやつ」といった目で見られ、シラ~っと去られてしまいました。
ああ、NYならここで軽い話をする知り合いができる場合なのに。
東京だとヘンジン扱いよ、とうちの者には言われてしまいました。
そういえば前にも話したけど、今でも後ろから来る他人のために
ドアを支えたりしてますが、そのときも同じ目をする人がいまだにいます。
こういう小さなところに、なんとなくまだ欧米より貧しい国という感じが否めません。

まあ、ヘンかどうかはともかく、
歳を重ねるごとに、個性はおのずと現れるもの。
外見はだんだんメリハリがなくなってきますが、
シワの出かたや表情、振る舞いや話し方も
ひとりとして同じ人はいません。
自分なりの自我の完成形に近づいてきます。
そこを無理して個性的であろうと努力する必要もないでしょう。
最近の「個性的であれ」という有識者や経営者たちからのメッセージ。
これは実は、人の個性を認め、受け入れ、なおかつ有用していこう、
ということの裏返しかもしれません。
個性を受け入れる器がないところでは、これは成り立ちません。
ほんとに豊かな社会には、こういった気質が不可欠なんだと思います。
料理だっていろいろ複雑な味や香りがあるものほどリッチな気分になりますし、
豊かな土壌や水辺には無数のバクテリアや養分が含まれています。
これを英語でcomplex といいます。いろいろな複合体です。
ワシら自身もいろんなものの複合体ですよね。
奇しくも心理用語のコンプレックスと同じです。
ならば己のコンプレックスをさまざまな複合体のコンプレックスに代えて、
豊かな個性にしていきたいもの。
というかもうすでにそれがたっくさん備わっています。
あとはその価値を認め、堂々とアピールするだけ。
豊かな社会環境でこそ、ほんとに「ヘンは素敵」ですし、
社会を刺激し、盛り上げるスパイスたるものになるのかもしれません。

最近のピグライフでもらった衣装。
個性的を通り越してエキセントリックでしょ、これじゃ…