貧すれば鈍す | 英語は度胸とニューヨーク流!

貧すれば鈍す

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貧しくなると、鈍くなる。
そんなことわざがあります。
英語では
poverty dulls the wit
と言います。
poverty は貧困。
dull は鈍くする、という他動詞。
wit は機転やちょっとしたユーモア、
いわば心の余裕を代表する言葉です。

生きてゆくための三要素=衣食住を満たすために、
他の社会的感覚が鈍る。
食欲・物欲を満たすために周りへの配慮がなくなる
ということでしょうか。

人間も所詮動物。必然かもしれません。
見栄や体裁、気取りや気配りなど、
生活に根付いている心の余裕は
経済的余裕や食欲を満たされないと生まれないのかも。

これが嵩じると、
富んでもなお鈍す、
という感じでしょうか。
物理的には満たされているのに、
過去や未来の飢餓感や精神的な不安感がクセになり、
自己中心的で周りへの配慮もできなくなる。
モノやカネにいつまでも貪欲。
いくらあっても不安。

最近、こうした人を目の当たりにする機会がありました。
いわば心が貧しいとしか言いようがない貪欲。
心の平和や胃袋の満足のために必要な経済的余裕を求め、
それだけにとらわれ、いつも心がカリカリ。
いわば本末転倒。
持たないもののやっかみかもしれませんが、
哀れで醜いことだと思います。

逆に言うと、
鈍な人は成功してるようにも見えます。

あまり周りに捕らわれず、
どう思われようとわが道を行く。
この道は成功か非難かの2つに分かれる三叉路。

ああ、自分てなんて小市民。
つい他人の目を気にしてムリしちゃう。
だからお金もたまらないし、キャリアもパッとしないのかも。
な~んて考えてる人もいるかもしれませんね。


本来の目的はどうあれ、
お金やモノはあるに越したことはない、のかもしれません。
そうすれば使うことも捨てることも恵むこともできる。

とにかく貯め込むこと。
そんな風な考えも理解はできますが、
どこが満足レベルなのか、
すでにわからなくなった人たちは、成金の哀しさ。
傍目には、つまらないことに使っているように見えます。

経済的な余裕というのは、貪欲から生まれるものではなく、
ある程度のお金への執着から生まれるようです。
持ったら放さない。うまくいけば増えるようにする。
我々は、持ったらどう使うか考えてしまう。
そこが違うのかもしれません。

ひとつ言えるのは
リッチな人の義務として、
社会に経済的な貢献をする。
文化レベルを保つ、引き上げる努力をする。
これじゃないでしょうか。
じゃなければ、持たざる者たちはただやっかむだけです。

高価なものを買うもよし。
それをスタイリッシュに持つことで、
人は更なる品質のよさや向上に努めます。
未来へ保存したい名所や、職人の腕が存続します。

上流から流れてくる水はきれいであってほしい。
貪欲でドロドロや、ドラッグで汚染ってのは勘弁してほしいです。


英語でのもうひとつ似た表現に、
Empty sacks will never stand uprigh
(空っぽの袋は、決してひとり立ちしない)
これは巾着袋か何かを想像してもらえばわかりますね。
中に何か詰まってればしゃんと立つけど。

これも深い意味があるように思えます。