もしもどんな言葉もしゃべれたら | 英語は度胸とニューヨーク流!

もしもどんな言葉もしゃべれたら

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パーこれはブログネタではありません。

ワシの友人がよく言います。
あ~あ、どんな言葉もしゃべれる能力が備わったらな~って。
もちろん本人の努力は必要なしにね。

ワシもよく考えます。
自動的に相手の言語を認識し、自分の言葉通りに翻訳できる
マイクロチップみたいのが埋め込まれて勝手にしゃべってくれないかと。

世界中どこに行っても、言葉で困ることなく、
遠慮も臆病とも無縁になって、
値切ったり、ナンパしたりいろんなことができるな~って。
(ま、それは言葉の問題だけじゃないだろうけど)

想像上ですが、この場合もルールがあります。
自分では外国語をしゃべってる感覚はまったくありません。
相手の言葉も自国語で聞こえてきます。
(想像なんだから自由にすればいいものを…)

こんな機能が人間に備わったら、どんなに便利でしょうね。

まず世の中にある英会話スクールはすべてつぶれますね。
そうして残るのは厳密に言語を研究したり、深く掘り下げたりする
研究所みたいなとこや、趣味サークルみたいなとこ。

翻訳家や通訳もいらなくなる。(そう視覚的にも母国語に変るんです)
アルファベットやハングルはデザインとしてだけ残り、
外来語のカタカナ語は生まれてこなくなる。

さてそうなっても英語に興味があるでしょうか?
仕事で必要だからしかたなく、っていう人を除けば、
今英語に興味がある人は実は、海外旅行を楽しみたいとか、
映画やテレビドラマを字幕や吹き替えなしで観たいとか、
友人や恋人が英語話すから、とかいう理由ですよね。
いわば道具としての英語。
自分が自動的に英語できるようになれば、
こうした必要がすべてなくなるわけです。

ところが言語をすべて理解する、ということは
背景にある文化や歴史、人間性まですべてわからないと
ありえないことですよね。

以前他のブロガーさんの記事で、モーニングサービスについて書かれてました。
このモーニングサービス。英語のようですが日本語です。
日本には、朝の喫茶店で飲み物を頼むと
トーストや卵などが無料でついてくるところがあります。
これをモーニングサービスと呼んでいます。名古屋人には当たり前?

もちろん英語では教会での日曜礼拝セレモニーのこと。
ワシはスペル違いで慰霊祭だと最初思いました。(mourning と morning)
だからこの言葉を理解するには、日本での習慣を知る必要があります。
このふた言の中にいろんな情報が詰まってるわけです。
外国人は知りません。日本人でも知らない人いるかも?
さてそれが世界中のすべての言語に及んだら、どんだけ~の情報量でしょうか。

ましてや個人的な感情やクセなどを考慮しないと
個々の言葉というモノは理解できません。
ワシの言う「いいね」とアナタの言う「いいね」は
違う意味やニュアンスということが多いはず。
だとすると、言葉って結局、人を知ることなんですね。
英語だけでも、スパコンでも無理な量になると思います…

人は人が見るもの、聞くもの、食べるもの、
自分にないものやないことを知りたい欲求が
外国語を学ぶ根もとになっています。
言語はその世界への門のようなもの。建物のファサードです。

先ほど挙げた語学スクールや、中学・高校の英語の先生が、
自分の海外体験や面白いエピソードを交えて教えてくれたら、
どんなに楽しくて、授業に身が入ったことでしょう。


そこで前の説に戻ります。
言葉を理解するには背景や文化どころか、
個人的なクセまでも知らないとできない。
それが自動翻訳できるということは全部知ること。
つまり全能になるってことです。

ところが、知らないことを知りたい欲求は消えないというわけです。

このパラドックスに気付いた時点で、
自分のどんな言語でも自動で理解できたら話せたら…という想像が
ムザンに打ち砕かれてしまいました。

一部の超能力信者は、いつかそれもテレパシーで出来るようになると信じている、
または、遠い昔は人類みんなそうできたと、信じているかも?
もちろんそんなことは未来永劫不可能な気がします。

今のところ、文化や背景だけでなく、
外国語の響きや話す人たちへの興味も含めて
わからないことを楽しみ、理解できた楽しみを味わうことにします。

ま、話せたらカッコイイと思ってるだけの人もいるかも。
そういう人にはこのマイクロチップは不要ですね。
だって自分では外国語を話してる自覚がないんで、つまらないでしょうから。

想像上の能力にも限度を設けるワシってイッタイ…(ヘンタイ?)

みなさんもこのネタでぜひ記事を書いてワシに教えてください~チョキ

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