ねじれた家(クリスティの心理学⑤) | 英語は度胸とニューヨーク流!

ねじれた家(クリスティの心理学⑤)

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ねじれた家 (Crooked House)

前回からかなり時間があいたアップです。4ヶ月ぶりのクリスティ!
今回はまた有名探偵の出ないものをご紹介します。
原題の crooked [krúkid] はクルキド、と読みます。
ゆがんだ、ねじれた、不正な、腹黒い、という意味。
ここでは舞台となる屋敷も相次ぐ建増しで均整を欠き、
かつ殺人者の心もねじまがっていることを象徴しています。


年老いたやり手のビジネスマンだった主人が殺され、
彼に頼っていた家族全部に容疑がかかる、
いわゆる財産家の殺人シリーズですね。

この作品の何が素晴らしいって、ステレオティピカルに分けられた、
登場人物それぞれの性格描写と創造力がすごい。
こんな人いない、と一見思うんですが、現代の日本人にも共通するような
キャラのエキスともいえるものがたくさんあります。
人間豊かになると出てくる性格は各国似通ってくるようです。

まず主人公の母親が女優。
普段から何かを演じることが身についていて、そのペルソナで行動が変ります。
フワッとしていそうで計算高く、こずるいようで抜けている、という複雑さは、
まるでティーネイジャーの女子。

その夫は本の世界に没頭する、生産性のない父親。
高度の知性を持ちながら、弱さのために現実に対応できない人間で、
無力であるがゆえに、他を思いやれない冷たい性格は、少しニィト気味。

その兄であり、主人公の伯父は、人はいいけれどビジネスセンスゼロのボンボン。
自分の器以上を幼い頃から求められ、ちじこまった結果がすべて裏目という人。

その妻は愛情1点主義という女性で、他人が鬱陶しくてしかたないタイプ。
あふれる母性の行き所を夫ひとりに注ぐ、クリスティお得意のキャラ。
忍耐強い反面、自分達以外にはまったく興味のない粘っこいキャラです。

そして大伯母。
昭和を生き抜いた強い女という感じの自他共に厳しいヴィクトリアン
規律やモラルに真摯で、堕落や弱さに批判的。
しかし、ビシビシと厳しい口調の裏に表れる家族みんなへの愛は深く、
それぞれがフワフワ実態のない家族の中で支柱ともいうべき存在。

他にも若い後妻やその恋人、主人公の弟妹が出てきます。

容姿端麗、知性と経済・道徳観念に優れたスーパーウーマンという主人公の影は
誰よりも薄いキャラになっていて、語り手であるその婚約者はまるでワトソン役


さて、この家族の誰にでも動機があるというのはいつものパターンですが、
ここでの1番の動機は自己顕示欲

これこそ、豊かな社会でしか表れない欲のひとつです。

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貧しい間や幼い間には、知識や人との交流が少ないためありません。
人口が増え、周りをいろいろ知るようになると、
人は自己の存在意義を求めるようになります。
もっと奥底にあるアイデンティティの存続や防衛を図るようになるのです。
競争が生まれるのもこのため。
兄弟が多い子どもほど、この能力が発達するというのは、
自然界でも人間界でも同じ。
少しでも強い子孫を残そうとする、自然の智恵です。

昔に比べて今は医学と社会システムの発達で、乳児の成長率は上がっており、
その分、精神的に弱い子も庇護されて育つようになっています。
誘惑に弱い、継続する力がない、といったものは、環境や教育だけでなく、
ある程度生まれたときから決まっているという説で、
ほんの微小な差が、オッパイを飲むしつこさや根気のなさ、
ハイハイを始めておもちゃを取りに行く時にも、すでに出ているのです。
そうした僅差がやがては大きな違いになっていくのは言うまでもないでしょう。
残念ながら当時のイギリスは現代ほど、個性が尊重される時代ではありませんから、
自然と成功者と落伍者に分かれるようになります。
今では教育システムのおかげで性格にあった指導により、
個性に合わせた成長振りも期待できるようになっています。

作品では、こうした大家族の中で育つ3人の子どもの性格の
極端な違いにスポットライトを当てています。
上が優秀なら下はそれに負けじと勝気になる。、
すると3番目は(年齢的なこともあり)叶わないとあきらめ、
違う性格を伸ばそうとする。すべては必然のひとつです。
自分なりに生き残ってゆこうとする智恵を身につける一方、
障害物をよける植物のツルのようにねじれていくこともあります。

今でいうDNAのいたずらは、もうすでにこの作品で、
その言葉こそ使われませんが、遺伝という意味の恐ろしさで語られます。

意外な犯人と意外な動機はクリスティお得意の結末ですが、
これほど身近で、かつ起こりえそうな殺人は他にありませんでした。
そして、バラバラに見えた家族が、犯人をかばおうとして団結する様も
家族のねじれた絆を物語るような皮肉にしています。
そういった意味で彼女の人間洞察力や、想像力、心理学への理解は
こうしたことが当たり前になった現代だからこそ、驚嘆に値すると思います。


この作品は現在イギリスで、ジュリー・アンドリュース主演で映画化のため、
シューティング中とのこと。公開が楽しみです!

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用語の説明

ステレオティピカル = stereotypical お決まりの、先入観に富んだ

ペルソナ = persona (ユング心理学で)ペルソナ, 仮面(⇔ 魂, 精神 = anima)

ヴィクトリアン = Victorian 威儀や節度が洗練されていった世代
⇒ヴィクトリア女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間
ヴィクトリア朝的という表現は、非常に厳しいがしばしば偽善的な道徳的基準

ワトソン = Dr. Watson シャーロックホームズの親友であり助手。物語の語り部的存在

自己顕示欲が強い = self-assertive(ness)
⇒自分の存在を周りにアピールしたいという欲求。一般的に「目立ちたがり屋」と言われる。
レベルに違いはあれど、誰にでもある欲求のひとつ。
アピールに対する周囲の反応があればあるほど助長される性質を持つ。
⇒自己愛性人格障害 = Narcissistic Personality Disorder の特徴とも言われる(DSM‐Ⅳによる)

自己の存在意義 = raison d'etre レゾンデートル
⇒ある物が存在することの理由。存在価値。

アイデンティティ = identity
⇒『自分は自分である』という明瞭な自己同一性
これを安定して保てていれば、将来に対する不安や人生に対する無気力、
職業生活に対する混乱を感じる危険性が低くなる、とされている。
⇒『自己アイデンティティの確立』

生まれたときから決まっている = hereditary 先天性の、遺伝的な(病気には当てはまらない)
⇒人間は精神や心、パーソナリティも先天的な影響を受けると考えられている。