英語で読むタオのプーさん 第8章 | 英語は度胸とニューヨーク流!

英語で読むタオのプーさん 第8章

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Nowhere and nothing
by Benjamin Hoff, A.A. Milne (訳と説明:テリ)

"Where are we going?" said Pooh, hurrying after him.
"Nowhere," said Christopher Robin.
So they began going there,
and after they had walked a little way
Christopher Robin said.
"What do you like doing best in the world, Pooh?"

(And of course, what Pooh liked doing best was
going to Christopher Robin's house and eating.)

"I like that too," said Christopher Robin,
"but what I like doing best is Nothing."
"How do you do Nothing?" asked Pooh,
after he had wondered for a long time.
"Well, it's when people call out at you
just as you're going off to do it.
What are you going to do, Christpher Robin,
and you say, Oh, nothing, and then you go and do it."
"Oh, I see." said Pooh.
"That is a nothing sort of thing that we're doing now."
"Oh, I see." said Pooh again.
"It means just going along,
listening to all the things you can't hear,
and not bothering."



「ボクたち、どこ行くんだい?」早足でついていきながらプーは訊いた。
「どこへも、さ」クリストファーロビンが言った。
そこで彼らはその場所へ向かうことにした。少し歩くとクリストファーロビンが訊いた。
「世界で1番何をするのが好きだい、プー?」
(もちろん、プーが1番好きなことはクリストファーロビンの家に行って何か食べることだった)
「ボクも好きだよ。」クリストファーロビンが言った。
「でもボクが1番好きなことは何もしないこと。」
「何もしないってどうやるんだい?」しばらく考えてからプーは訊いた。
「そうだな、何かしようとしてる時に誰かがキミを呼ぶ。
そして、クリストファーロビン何しに行くんだいって聞くだろ?
そしたら何にもって答える。その後でそれをしに行くんだ。」
「へ~そう」プーは言った。
「それが今ボクたちがやってる何にもしない風なことさ」
「へ~そうなんだ」プーがまたそう言った。
「それってぶらぶら歩いて、聞こえないものに耳を澄まして、のんびりするってことさ。」



タオイズムにとって無とは大事なこと。
反対に、一般的にいう大事なことは彼らには無。

タオでいう「太虚(タイツゥ」=偉大なる無。
壮子のたとえ話を紹介しよう。

クンルン山(崑崙山)からの帰りに黄帝はタオの黒い真珠(玄珠)をなくした。
彼は「知識」に見つけるよう命じたが「知識」はそれがどんなものかわからなかった。
次に「遠目」に命じると、彼にはそれが見えなかった。
次に命じられた「雄弁」は、それをどんなものかを語ることさえできなかった。
最後に命じられた「無心」が黒い真珠を探して戻ってきた。

イーヨがシッポをなくしたときにそれを見つけてきたのは誰か。プーだった。
イーヨはそれがなくなってるのにも気付かず、
忙しすぎるラビットにはそれが見つけられず、
物知りのフクロウにはそれがなんだかわからず、なんとドアベルの紐に使っていたのだ。

Empty mind = 頭をからっぽにすると目の前にあるものが何かわかる。
いろんなものがつまり過ぎた頭にはそれができない。
澄んだ頭脳を持つものには鳥のさえずりも聞こえる。
知識と賢さにとらわれたものは何という鳥が鳴いてるのかと考える。
それが嵩じるほど、自分の目で見ず耳で聞こうとしない。
知識に振り回され、間違ったものを追い回し、ないものまで追うようになる。
結果、目の前にあるものが見えず、きちんと評価できず、役立てることもできない。

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Emptiness = 空(くう)とは何か?
空とは埋められていないスペース。
ドビュッシーは言った。音楽とは音符の間にある空間だと。

この言葉でピンと来る芸術が、美がたくさんある。
生け花をしたときの花と花の間の空間の美。
絵画の中の空間部分の色使い。水墨画のスペース。
インテリアでの家具やオーナメントのない空間。庭園の美。
ビルとビルの間の空間の形、大空。どれも実の主役はこのEnmptiness。
それらを美しいと思い、尊ぶ心が Empty mind.

空とは騒ぎの後の静けさ。
強風の後の凪。
暑い日の澄んだ冷たい水。
空には混乱した頭を休め、エナジーを再びチャージさせる作用がある。

多くの人がこの空っぽなことを怖れる。
孤独を思い出すからだ。
どれも満タンにしようとする。
望みをすべて叶えようとする。
空間が埋められた後にくるほんとの孤独。
テレビをつけて孤独を紛らわそうとするが癒えない。
そこでまた予定を作り、クラスに入会し、自分へのギフトを買いに行く。

その代わりに無を享受したらどうだろうか?
これを表す日本の裕仁天皇のエピソードを紹介しよう。

儒教の影響が色濃い国での様々な儀式や面会の中で
彼の生活は実は分刻みのスケジュールでいっぱいだ。
これに比べれば石で出来た壁さえ隙間だらけに見えるほど。
それでも大海原をゆく船のように滑らかに仕事をこなす。

特別忙しいある日、彼は会見の間へと赴いた。
しかし着いてみると何かの手違いであろう、大広間は空っぽ。
それでも天皇は動じず、広間の中心へ向かって歩き、お辞儀をひとつした。
そして彼の侍従に向かってこうつぶやいた。
「これほど楽しかったお勤めはありませんね」


荘子の書にはこうある。
知識を得るには毎日何かを加えていくこと。
智恵を得るには毎日何かを取り去っていくこと。

"I am learning," Yen Hui said.
"How?" the Master asked.
"I forget the rules of Righteousness and the levels of Benevolence," he replied.
"Good, but could be better," the Master said.
A few days later, Yen Hui remarked, "I am making progress."
"How?" the Master said.
"I forgot the Rituals and the Music," he answered.
"Better, but not perfect," the Master said.
Some time later, Yen Hui told the Mater,
"Now I sit down and forget everything."
The Master looked up, startled,
"What do you mean, you forget everything?" he quickly asked.
"I forget my body and senses, and leave all apperance and information behind,"
answered Yen Hui. "In the middle of Nothing, I join the Source of All Things."
The Master bowed.
"You have transcended the limitations of time and knowledge.
I am far behind you. You have found the Way!"


「私は学んでいます」顔回が言った。
「いかに?」師が訊いた。
「正義の法則と慈悲の水準を忘れました」
「よかろう。だがまだまだだな」師は言った。
何日かして顔回は言った。「私は進歩を遂げています」
「いかように?」師は言った。
「儀式とその楽奏を忘れ去ったのです」
「よいことだ。しかしまだまだ完璧ではない」師はそう言った。
また幾日か過ぎると顔回は師に言った。
「私は座するが早いかすべてを忘れるようになりました」
師は驚いたように顔を上げた。
「なんと?すべてを忘れるとな。」彼は早口で訊いた。
「私は体を忘れ感覚をなくし、すべての外見と記憶を忘れ去るのです」
顔回はそう答えた。「無の中に在って万物の根源と一体となるのです」
師は頭を垂れて
「そなたは時間と知識という限界を超越した。
私はそなたに遠く及ばない。そなたは道を見つけたのだ」



天才的なひらめき!まったく前代未聞!革新的なアプローチ!
こんな偉業はたいがい知識につまった頭ではなく、
無心から来ることが多い。
いい睡眠をとった後の清清しさ。
すべてがまた明晰で、無に溢れている状態。

子ども時代、なんの力もないけれど目覚めに溢れている。
周りにあるものすべてを楽しめる。
そして思春期。力はまだないけれど、少なくとも独立心はある。
それを越えるとオトナになる。
何でも自分でできて他を助けられるくらい人間的に成長する。
しかしそれが最終ではない。
独立できて、澄んだ心を持ち、何でも見える子どもになること。
これが智恵者だ。

タオで言う、始めに戻ること=子どもに還ること。
成功した人の多くが、まるで子どものような表情を持つ。
夢を語る、実現する。
それは彼らが智恵を持った子どもだからだ。
無数にある取るに足りない知識を捨て去り、
宇宙の法則に即した偉大なる無という智恵で満たした結果。

大きな表現になり戸惑うかもしれないけれど、
頭にも心にも、今流行の断捨離が役に立つ。
というか、それは今目指している成功には必要不可欠なこと。
煩わしい細事を取り除き、真に大事なものが見えるようにする。
考古学者が発掘されたツボから丹念に泥を落とすように。
目先の欲や、ささいな心配、虚栄を捨てること。
無にしたところから智恵が見えてくるのではないでしょうか?


次回はこの続きと最終章。
今書き上げてみて、改めて感慨ひとしおです。
初めてこのシリーズを読む方は、
序章からまたゆっくり読んでいただくとうれしいです。
コメントなどありましたらどうぞ遠慮なくお寄せください:)