Empty Room | 英語は度胸とニューヨーク流!

Empty Room


4月からうちに来てくれてた福島の家族が、週末に向こうへ引っ越して行きました。
前回帰ってみて、これなら大丈夫と思ったのか、東京にいるよりやっぱり農作をしながら
のんびりしたくなったのか、はたまたひとりで放っておいたご主人が(ワシの友達の兄)
浮気でもしそうになったのか(笑)、;
まだ早いんじゃない?というワシらの意見に丁重にタテをつき、
サクサク引越しの準備をしたようです。
息子さんたちは大学なので、近くのアパートか寮に移りたいようです。
やっぱりいくら安全で便利とは言っても、人は何もしないでは暮らせないもの。
;経済的なことではなく、自分の仕事というものがいかに生きる甲斐を作っているか、
;あらためて分かったような気がします。

人はよく、食べてくために働いてるんだといいますが、
これはお金を稼いで家を維持し食料を買うためだと思いがちです。
でも経済的にまあ何とか食べられるだけの収入(といっても豪遊も出来ず、
海外旅行し放題でもないくらいの)があったら、人は遊んで暮らせるもんでしょうか?

知恵がついて、世間と付き合うようになったら、仕事と呼べるものがないと
貧乏以上につらい思いをするんではないかと思います。
人のうわさがどーのこーのってんじゃありません。
自分が何か世の中の役に立ってるかどうか、人に喜んでもらってるかどうか、
そんなことが気になるんではないでしょうか?
いわば社会の枠から外れて、帰属意識が危険にさらされて、
いわゆる群集の中の孤独を味わうことになりそうです。

こうしたことはきっと、会社を定年退職した方々がある期間たったあとで感じてることでしょう。
人間何かやることがないとろくでもないことを考えると言いますが、きっと死にたくなったり、
グチっぽくなったり、無意識に健康を保つこともやめてしまうんではないかと思います。

まあこういう人たちはためた貯金と退職金で、堂々と趣味に生き、
今まで出来なかったことを楽しむ計画をなんの気兼ねなしにできるでしょう。

しかし、まだ働ける、やりたいことがあるという場合は、
お金に困っていなくても自分の『仕事』というものを持ちたいと願う思います。
言ってみれば仕事とは、食べていくためのものだけではなく、
それ以上に、人間らしい気持ちを持つために必要なものなのかもしれません
金銭的報酬を伴っても伴わなくても、仕事というか、自分の使命と言えるものを持つことが、
英語で言う「That’s my job ! 」
この気持ちがまさに「生きていくため」に必要としているものなのかなと思います。

失業率も高まる中、食べていくための仕事もままならない方がいるでしょう。
しかし、そうした人が次に望むのはきっとこの生きていくための仕事。

今、不本意な仕事をして、家計をやりくりしてる人たちもそうです。
生きていくためのやりがいのある仕事がきっとみんなに必要なのかもしれない。
そんなふうに、空っぽになったアパートを見ながら感じたワシでした。

なんか月替わりでなんかしらの引越しがあるようで相変わらずバタバタの周辺ですが、
家庭の事情でワシらがアパートに戻れるのはまだまだ先のようです。

しばらくは、友達のとこに転がり込んでるアランちゃんや契約更新が近づいてるエリックに
住んでもらおうかと思っています。なんてラッキーなヤツラ…。