日本を愛した外国人の話 | 英語は度胸とニューヨーク流!

日本を愛した外国人の話

昨夜はたまたまかけていたテレビで、日本を愛した2人の外国人のエピソードを見ました。

最初はNHKのヒストリアとかいうやつで、幕末に初代のイギリス領事館の領事となった
ラザフォード・オルコック卿
そして、齢88歳にして日本帰化を決めたコロンビア大学名誉教授ドナルド・キーン氏

$英語と度胸はニューヨーク仕込みでぃ!

キーン教授は日本文学をこよなく愛し、研究し、世界に紹介してきた方。
その方が東北関東大震災をきっかけとして、日本への永住、帰化の意思を示されました。
これほど日本文化や日本人を理解し、かつ愛してくれてる方が、なおかつすばらしい教育者であり文学者であり、受勲者であることに感動します。

NHKのインタビューで、キーン教授は
「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、野球の外国人選手が
辞めたりしているが、そういうときに、私の日本に対する信念を見せるのは意味がある」
と語ったそうです。

2008年には文化勲章も受章されているが、ケンブリッジや早慶など居並ぶ大学の名誉博士号も持っている
すばらしい方です。
その方が、人々が政府を責め、東電を恨み、という内外から見放されつつあるこの国(いろいろな事実を
見ればほんとです!)を死に場所に選び、世界に日本はその価値があるということを宣言すると言うことは、
彼になじみのないワシらの計り知れない影響力や広告効果があると気づいているのでしょう。
その揺るぎない信念には観ていて目頭が熱くなりました。

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一方、オルコック卿は、当時外国人として始めて富士山登頂をしたイギリス人として紹介されました。
彼は別に登山家だったわけではありません。
日本でのイギリス公使として、日本のどこへでもいける許可が本物かを試すため、当時国民からの
信仰が深かった富士山へ登れれば、この国の真意は確かであると思ったからです。

彼はその過程で、幕府の硬い態度とは裏腹の、町場の日本人たちの暖かさや忠誠心に触れて驚きます。
日本人の付き添いたちの助けを得ながら、最初は別々に登っていたイギリス人、日本人たちが、
だんだん触れ合い、氏の苦しみを乗り越え、頂上での感動をともに分かち合うまでになったのです。
山頂からの絵のように美しい眺めに畏敬を深め、日本人の信仰の拠り所を理解し、共有し、共感した瞬間
でもあったようです。

しかし、彼が日本人を見直すきっかけとなったことは、富士山へ向かう途中の茶屋でのこと。
休んでいる自分たちのそばに、身なりの貧しい旅人が、何も注文できずに疲れ果てて座っていると、
茶屋の者が彼にも同じ様に茶と食べ物を供するのを見たときだそうです。
日本人は困っている人がいれば、何も言わずに助け合う人々なんだと、感動したそうです。

その後に、日本でたった一人の家族であり友人だった愛犬を事故でなくした際は、周りの貧しい人々が
お坊さんを呼んでくれ、ともに成仏を祈って、埋葬してくれたことに深く感謝し、日本への思いは深まりました。

血気盛んな幕府の侍たちがイギリス領事館を襲ったときにも、本国に向けて、
まだ世界にむけて目覚めたばかりのこの国の過ちを寛大に見てほしいと、文書にしたため嘆願し、
両国間に事なきを得たというエピソードも紹介されました。

後に開かれたロンドン万博では、出品するものが間に合わない日本のために、自らの刀剣や器類など、
日本コレクションをすべて送り、公式に初めて外国で紹介された日本の世界での地位向上と人々の理解を
深めるのに大きな役割を果たしたそうです。

彼はその後も日本の文化や工芸を世界に広め、
日本を世界に認めさせるために私財をかけてくださった方だそうです。
詳しくは露蘭堂出版の「富士登山と熱海の硫黄温泉訪問」に詳しく翻訳されています。
150年たった今も違和感なく読める文体だそうですから、興味のある方はぜひご一読を。

大震災後の日本にとっても、様々な援助や理解が寄せられています。
しかし、その反面、これを機に日本を国際舞台から退けようという各国企業の狙いも隠れています。

ワシも普段は外国のいいところを紹介し、日本人はこういうところが残念、といったことを言いがちですが、
自分の国を愛する気持ちは同じです。その国をこれほど愛してくださった方々のエピソードには
やはり胸が熱くなり、改めて感謝と愛国心が芽生えてしまうような夜でした、とさ。