NYの思い出(事件編)今回も長いよ! | 英語は度胸とニューヨーク流!

NYの思い出(事件編)今回も長いよ!


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NYにいる間に起こったさまざまな出来事の中でも、
忘れられないのは2001年の9.11事件と2003年の大停電。
個人的な魔の12時間もあったけど(→前編後編 参照)

9.11は、僕が大学へ復学したばかり、
NYに移ってからまだ1ヶ月での出来事でした。


授業に合わせて遅く起きた日、
エンパイアステイトビルの近く、
20階にある僕の部屋からダウンタウンを見ると、
その方向から黙々と煙がこちらへ近づいてくるのが見えました。

何かと思ってテレビをつけると、
どのチャンネルもワールドトレードセンターの映像ばかり。
ビルの火事かと思っていたら、テロ報道。
それでもそれほど深刻だと思わず、学校へ電話をして、
授業があるかどうかだけ確認。休みでした。

その後のことは皆さんも日本で聞いていたと思いますが、
2次災害としてのビル崩壊の映像で、心の底から怖くなりました。


自分がいつも格安ブランド品を買いに行っていた店も、
マンハッタンで1番きれいなマックや、ウォール街で1番うまい
サンドイッチ屋もすぐ近く。
ちっぽけな自分はそんな身近なことでしか実感できませんでしたが、
ずいぶん経ってから行ったその場所は、ハワイ島のクレーターのように
ぽっかり穴が空いていて、本当に大きな喪失感を味わいました。


後から後から流れてくる悲惨な映像や、悲しい話。
このときからアメリカは、自由でおおらかな国から、
外敵を絶えず警戒する大国になった気がします。
就労ビザや入国の基準が厳しくなり、外国人にとって、
あまりフレンドリーな国ではなくなったかもしれません。
今年で10年になり、国の姿勢も少しゆるんだかもしれませんが、
パールハーバーに代わって、苦い思い出は続いていくと思います。



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NY BLACKOUT

それから2年後の8月。

NYと北西部の広域で起こった大停電は、個人的に印象深いものでした。


夏季講習が終わって友達とじゃべっていた頃、大学が急に騒がしくなり、
停電になったことがわかりました。


家に帰ろうと道に出ると、道路をいつになく
すごいたくさんの人たちが歩いています。
信号も消え、警官がそこらじゅうに立っていて、
道沿いの商店も真っ暗。
夏の暑い盛りにこの人ごみ、熱気はさらに高まっていました。
地下鉄も止まり、バスはどれも満員で停車中。
いつ走り出すのかわからず、みな乗ったり降りたり。


マンハッタンに住んでる人たちは家まで歩いても1時間かそこらだけど、
そんなラッキーじゃない人はその10倍くらい。
みな自分の家へ向かって歩き始めました。


僕の家は70ブロックほど下ったところ。
歩き始めて40分くらいで、クイーンズへ行くトンネルと橋。
そこにはいつものような車など走っておらず、人、人、人。
クイーンズへ帰る人の波が車道をおおっていて、
NYマラソンでしか見たことないような光景でした。


やっと汗だくでアパートのあるビルに着くと、案の定、エレベータはなし。
いつもは眺めのいい20階まで、非常階段を上っていくことに。


非常灯もついてない、真っ暗な階段室を、手探りで上ります。
自分の手も見えません。何のための非常灯かわかりませんが、
通常1時間位しか持たないそうです。

そのうち何階を過ぎたのかもわからなくなりました。
幸い、屋上から2階だけ下がったところだと思って。
おそるおそる階段室から真っ暗な廊下へ。
突き当たりの部屋だからとにかく壁伝いに行って、
鍵を差し込んでドアを開けようとしたら、回りません。鍵が。
他人の家でした。


ひとつ上の階を試したらやっと開きました。???

家に帰って携帯から友達に電話するとつながりましたが、
すぐに電源切れ。今のように予備の電池など持っておらず、
充電もできません。


まだ明るい町を見下ろすと、前の高級食料品店の店先では、
アイスクリームなどを売っているのがかすかに見えます。
きっと溶けたり腐ったりするものを売っているのでしょう。
幸い家には冷凍品も入った大きな冷蔵庫。
また20フロア分を降りる気にはなりませんでした。


夕闇がせまり、真っ暗な部屋でろうそくの火だけ。
テレビもなし、PCもなし、家電話も使えず、何をしていたのか。
これだけ大きなビルなのに、自家発電はどうしたんだい。


ところが、恐ろしいのは水が出なくなったことでした。

飲み水はなんとかジュースや炭酸などのボトルがたくさん。
でもトイレは…。
大きいのをした後でパニックになりました。
仕方なく、冷蔵庫の氷を全部タンクに入れ、
炭酸水を2本犠牲にすることにしました。
自分のウンチが泡とともにごぼごぼ流れていきました。


冷房もなく、明かりもなく、外へ出て行く勇気もなく、
ほんとに困り果てながら、お菓子の夕食を済ませて、
ろうそくの火だけで本を読み、電源をチェックして。

窓から外を見ると、道路の赤いスタンドの他にも、
明かりがついてるところもありますが、
エンパイアステイトビルも相変わらず真っ暗。
しかたなく早寝しようと思いましたがあまり眠れませんでした。


朝になっても電気は復興せず、ずいぶん長期化している様子。
町はホコテン状態ですが、開いている店はないようです。


匂ってくるようなトイレから離れ、現実逃避していた夕方、
やっと電気がつきました。


さっそく友人に電話すると、なんとそっちは夜中に復旧したそう。
一人で過ごす代わりに、友人宅で酒でも飲んでればよかった、
そう思った夏の夕方でした。
ほぼ24時間、電気のない生活。

電気ってほんとに大切ですね~。



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