ニューヨーク魔の12時間! (後編)
ヒスパニックのグループに囲まれた夜から7時間後、僕はビーっというけたたましいブザーの音で目が覚めた。じっとり汗ばむような蒸し暑い朝9時半。
キッチンへふらふらと歩いていき、残ったコーヒーの入ったガラスポットをガスにかけて、ブザーに答える。
インターフォン越しに聞こえたのは「デリバリー、メイルマン」の声。
起き抜けでトランクス1枚だが、メールを受け取るだけだから、とそのまま行くことにして、チップ用の1ドルだけゴムにはさんで下へ降りることにした。
狭い玄関に立っていたのはメールマンではなく黒人のメールレディ。郵便局員さんだ。じゃあチップはいらないと思い、封筒だけ受け取って5階へ駆け戻った。
あれ、ドアが開かない。
なんで…まじ?ロックアウトかよと思いながらも半信半疑。
階段を駆け下りるときに聞こえたバタンとしますドアの音を思い出し、すーっと血の気が引く思いだった。ホテル並みのオートロックだなんて聞いてなかったので、すっかり油断してた。すぐ頭に浮かんだのがキッチンのガスにかけたコーヒーだ。
まずい、非常にまずい。直火にかけたままのポットを残して、家に入れないなんて。とにかく1階のAは管理人を兼ねたおじさんのアパートだ。合鍵で開けてもらうしかない。
急いでまた駆け下りてドアをたたく。
おじさんがエプロン姿で何だ、といった顔をのぞかせた。
「ドアが閉まって、ロックアウトされたんです!すいません、ガスにポットもかけたままなんで鍵で開けてください」これほどはっきりいえたかどうかわからないが、通じた。
「何だって、ロックアウト? マークはどうした? わしは鍵なんてもっとらせんよ」と半分怒ったように怒鳴られた。
えーっ!どうしよう。火事になる。どうしようどうしようどうしよう。ここからは完全にパニック状態。マークに電話しなければ。でもアドレス帳は家の中。
おじさんさっさとドア閉めちゃうし。も1回、ドンドンと叩く。
「あのマークかヘリンのオフィスの電話番号知りませんか?」
「知らん」
あっそう。さてどうしよう。こうなったらドアをぶち破ってもらうしかない。
でも誰に頼める。おじさんも無理だし。
しばらくない知恵を絞って考えたのはこのアパートの作りだ。
5階までのウォークアップ。1階と5階の窓には防犯用の鉄柵がついているが、あれを力づくで外してガラスを割って入った方が、頑丈なドアに体当たりするよりイージーなんでは? 外には非常用の鉄梯子もあり、バルコニーのようになった踏み場もあるはず。いちかばちか屋上から降りるしかない。
そう思って屋上へまっしぐら。屋上へのドアはロックされてなかった。よし、ラッキーという思いで、焼け付くアスファルトのような屋上へ出た。なんかぼこぼこふかふかしていて、歩きにくいがとにかくマークたちのアパートの上と思われるところへ来て、柵も何もない屋上のヘリから下を見た。
た、高い。ここは6階だが、下から見上げるのと上から見下ろすのではずいぶん違う。1階あたりの天井高も日本よりあるからたぶんあのコンクリートの地面から20メートル以上だ。しかも非常の踏み場は屋上のヘリから奥まっていて、たんにそこへ飛び降りるというわけにもいかないようだ。
しかし頭をよぎる煮えたぎるポットとガス台。とにかく降りて中に入ってゆくしかない。
ヘリに捉まって体を鉄棒のようにスイングさせ、奥に近づいたときに踏み場へジャンプする。それしかなさそうだった。
おそるおそるヘリを乗り越え、足場もないのでヘリを両手でつかみ、体がずるずる壁をこすりながら宙ぶらりんになるに任せた。屋上のヘリの40cmくらいの厚みが棒をつかんでスイングするのを妨げる。足だけで反動をつけ、にょろりと足場へ飛び降りなければならないのを、ぶら下がりながら知った。改めて、た、高い。
もう必死の思いで鉄柵の内側へ飛び降りることができた。
窓についた鉄枠は丈夫そうだったが、古いので何とかなりそうだった。
両腕に力をこめてガッとひいた。
「Whaaaaaaaaat!!!?]という叫び声が中から聞こえてきた。
窓がガラっと開くと、顔を見せたのは知らない兄ちゃん。くりくり頭にくりくり目玉で真っ青だ。
「xxxxxxx! xxxxx、 xxx!」
何を言ってるのかわからない。だけどこちらと同じに驚いて怖がっているのがわかる。ここはよく似ているが、マークたちのアパートではなかった。きっと隣だ。
マンハッタンのテラスハウスタイプのアパートは、もともと1件のビルをたて半分に区切って、独立したアパートにしているところが多い。屋根は共有するが、その下は完全に別々なのだ。
「あれ、ここはホーナーさんの家じゃないですか? 間違えました」
なんとも情けない挨拶だった。たとえホーナーさんだって最上階の窓からの侵入者をウェルカムするわけがないし、まして見知らぬ兄ちゃん、(それまでその窓際のベッドで寝てたようだ)そんな言葉を聞いても安心するわけがない。
必死に状況を説明し、火事になりそうだから助けてくれと言っても取り付く島がないとはこのことだ。マークのアパートへの足場までは到底ジャンプできない距離だ。せめてお宅を通り抜けさせてください、と僕は懇願したが、
「Get out! 」の繰り返しできいてはくれない。
そのうち、そばにあるビルの一軒の窓が開き、おばさんがどうしたの? と聞いてきた。そのおばさんに今家の中で起こっていること、自分がロックアウトされてること、早く日を消さないと火事になってしまうこと、このお兄さんが話を聞いてくれず、通り抜けさせてもくれないこと、などなんとか早口で説明した。
「あらまあ血だらけじゃないの。服はどうしたの? そう、裸足のまま… まあ大変」こちらの必死の説明に同情的に聞いてくれるが、何の手もうってくれないおばさんだった。
しかし、そのうちそのおばさんの同情的な?口調と僕たちの会話を聞いていたのか、兄ちゃんが再び窓を開けて、「通り抜けるだけだぞ」と言ってくれた。
「ありがとう!助かります。 あのーすいませんがトイレも借りていいですか?」と頼んでみたが、「Just get out! Now!」とふたたび怒鳴られてしまった。
とにかくあの非常足場から逃れてほっとしながら、その薄暗い兄ちゃんのアパートを通り抜け、階段を降り、見慣れない玄関ととって建物の外へ。日差しが強い。すぐ隣のドアへとステップを登ってまた愕然。今度は建物自体からロックアウトされていたのだ。あの管理人のおじさんの番号を押しても答えてくれない。出かけたんだろか、居留守だろうか。
トランクス1枚で裸足で両手と腹が血だらけの東洋人が、こんなアッパーウエストの通りにいていいわけがない。普段変なものを見慣れているニューヨーカーなので何か言ってきたりはやし立てたりはしないが、またかといいた視線で通り過ぎてゆく。仕方ない警察に電話するしかない。幸運にも1ドル札がトランクスにはさんである。前のコインランドリーへ行って電話用に崩してもらおう。
ランドリーの韓国人のおばさん電話するから細かくして、というと「No Change! うちはくずせません」と一言。前のビルに住んでるし、いつもここに洗濯しに来てるのに、店はクウォーターだらけのくせに、あんまりだった。粘ってみたがなしのつぶて。仕方なく、もっとにぎわうコロンバスアベニューへと焼け付く歩道を歩き角の雑貨屋へ行くがやはり断られる。その時、コロンバスの真ん中あたりにパトカーが止まってるのが見えた。僕は車の往来も気にせず、まっすぐパトカー乗務の警官へ走った。
「すいません、家が火事になりそうなんです。ロックアウトされました。ドアを破ってください!」僕はすぐに案内品が引き返そうとすると、
「call 911」という声。
「えっ? 電話しろ? クウォーターにもしてもらえないんです。とにかく早く来てください」
「Just call nine one one, now」
信じられなかった。何のためのパトロールだい。彼らはそのままコロンバスを走り去っていった。にぎわうコロンバスアベニューで血だらけでトランクス1枚で裸足の東洋人、気もふれていると思われていただろう。
こうなったら仕方がない、道行く人に小銭をもらうしかない。よくみるホームレスの人たちのように、スペアミーチェンジ、だ。
何十人かに避けられた後、なんと小銭を分けてくれる人がいた。5セントでも10セントでもいいんだ。電話がしたいだけ。頭の中にあったのは昨日、日本から遊びに着いたばかりのはずの友人M。その滞在先の番号の字面だけは覚えていたのだ。口に出して言ってみる。<むしもなくさむ>646-7936だ。
いただいた小銭を握り締め勝ち誇ったようにあのランドリーへ舞い戻ると、電話をつかんでその番号を押した。
「あーマッキー? よかった。すぐに87丁目のアパートの玄関まで来てくれる?ほんとに困ってるんだ。靴と何か着るものも持ってきて。裸なんだよ。早く!」
マッキーは狐につままれたように思っただろうが、とにかくタクシーで来てくれた。なんとかなるとおもったが、なんとかなってよかった。911に電話するまでもなく、もうすぐいつものクリーニングガイが来るはずだ。彼なら鍵を持っている。
しかし、まだ室内では火がついたまま。中に入れないまま、もうすでに1時間だった。二人で玄関に座り込みながら、彼を待っていた。しかしいつも来るはずの11時になっても来ない。アパートの他の住人も出入りもない。絶望的な思いで見上げると煙は出ていない。もしかしたらふきこぼれて消えているのかもしれない。
昼12時過ぎ。汗だくで待っているところへ、マークたちの友人の子供、リウが現れた。まさかと思いながら、僕は彼を捕まえて、
「リウ、うちのアパートの鍵持ってるか?」と聞いた。
「持ってる」
わあーーーーっ!ついにやった。やっとドアが開く。ありがとうリウ!
思えば名に考えてるかわからん無愛想な子供だと思っていたが、こんな時に現れて救ってもらえるなんて。人なんてわからないもんだ。
急いでアパートの中に入り、キッチンへ。
火はまだついていた。コーヒーのカスかコゲなのかポットは真っ黒で煙っていた。家中むっとする熱気の中、それでもどこにも火は移っていなかった。急いでシンクにポットを移すして水をかけると、割れた。
それで僕のクレイジーな時は終わった…。今ではいい思い出だが、何より、この経験を境に、外人にも、外国語にも、また、コアとに経験する他のどんな災害や事故にも、臆することがなくなった。自分の力ではなかったけど、絶体絶命のピンチをなんとか乗り切ったという思いが今でもある。