ニューヨーク魔の12時間!(前編) | 英語は度胸とニューヨーク流!

ニューヨーク魔の12時間!(前編)


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今回は僕がNYのアッパーウエストに住んでいた頃に起こった
魔の12時間についてお話します。

まだ僕がNYに住み始めて間もない頃、とはいっても18くらいから行ったりきたりしてたので
NYはもう慣れっこでした。
その頃のマンハッタンはすでに安全な町として有名で、70年代の映画にあるようなサイケで怖いところではなく、
中でもセントラルパークに程近いアッパーウエストはマンハッタンでは珍しく、ファミリー世帯の多いエリアでした。僕はアメリカ人のカップルのルームメイトとして、5階までウォークアップというのを除けば、楽しく暮らす毎日でした。


ある晩、友人の家に行くことになりましたが、彼らが住んでいるのは127丁目で、僕のアパートからはアムステルダムアヴェニューをまっすぐ上に40ブロック行くだけでした。
そこはハーレムのそば、というかもうハーレム。有名なアポロシアターもすぐそばで、今でこそそのあたりもきれいなアパートが立ち並び、住んでいる人種も店も変わりましたが、当時はもう少し下品な感じでした。

夜10時頃に行ったときには、通りはたくさんの人でにぎわっていました。たった40ブロック違うだけでしたが、87丁目とは歩いたり座り込んでる人種がちょっと違い黒人だらけ。お酒を買いに寄った店もなんか薄汚れてごちゃごちゃしてて、昔の日本の駄菓子のような雰囲気だったのを覚えています。
でも友人宅は、日本でなら豪華マンションと呼ばれるような、ネオクラシカルスタイルの外装の新しくて大きなアパートの7階で、家賃を聞いていた僕はそのきれいさにかなり驚きました。


彼らのアパートを出たのは夜中の2時過ぎ。平日の夜ということもあり、外に出ると友人宅のテラスの雰囲気からガラリと変わり、あたりはシーンとしていて、街灯まで先ほどより暗くなったかのようでした。
夏の夜のことで、僕はタクシー代をケチって40ブロック歩いて帰ろうと決め、アムステルダムアヴェニューの方へ歩き出しました。
NYの地図を見ればわかりますが、細長い島はセントラルパークを中心に西東があり、縦横にアヴェニューとストリートが交わっています。端はそれぞれハドソンリバーとイーストリバーで、実は夜のリバーサイドは人が少ないので危険でした。
潮が引いたようにあの賑わいがなくなったのは意外でしたが、警戒心などなく、中央よりのマンハッタンアヴェニューではなく、ひとつ西側のアムステルダムアヴェニューを選んだのが大きな間違いだと気づいたのは、さらに通りが暗くなったような気がした時でした。
小高くなった前方には何人かのヒスパニックらしき若造たちが(自分もそうでしたが)突然現れたように立っていて、何か話していました。僕は普通に通り過ぎようとしましたが、何かこちらに向かって呼びかけています。
ブロークンのスパニッシュなど知りようもないその頃の僕は、わざと日本語で「ぜんぜんわかんない」とかなんかいいながら行き過ぎようとします。そこで彼らのうちの一人が僕の前に立ちはだかり、さらに何か言いながらキラッと光るナイフのようなものをポケットから取り出そうとしています。
3人のちょっと目の鋭いヒスパニックに囲まれたことで頭はパニック。それじゃあ、ということでUターンをしてマンハッタンアヴェニューの方から帰ろうと思い、振り向くとさらに3人後ろにいました。
これは完全に強盗されるか、ボコボコにやられるか、その両方かとビビリまくりました。
それでもとにかく日本語で「何だよ」とか叫びながら横目でほかの通行人はないか探しましたが、通りは完全にわしらだけ。どうしようか困っていると、あの坂の上のほうからビッビーというクラクションの音とともにすさまじい怒鳴り声とタクシーがすっ飛んできました。
見ると頭が70年代してる黒人のおばちゃんドライバーが首を窓から突き出し、白目充血させてひん剥いてクラクションを鳴らして僕たちの方へ向かってくるところです。(あとからの記憶の映像です)
おばちゃんは僕たちをひき殺す代わりに、ヒスパニックの子達に何か怒鳴ると、僕の方に向かって「ゲッティン (get in!)」と怒鳴ると足でドアを蹴り開けてくれました。
僕がバシンとドアを閉めるまもなく、タクシーは発進しました。
おばちゃんは何か僕に話しかけている、というか怒って怒鳴っているのですが、パニくった後の頭には英語も入ってきませんでした。それでも何とかお礼と、家のアドレスを言うと、マンハッタンアヴェニューを南下して87丁目で降ろしてくれました。お金を払おうとすると「いいんだ」というように受け取りません。僕は「どうせタクシーをつかまえるつもりだったんだから」と言って5ドルか10ドル渡したような気がします。
なんかきちんとしたお礼も言えず、チップもはずまず、そのまま行かせてしまいましたが、後になるとなんていい人だったんだろうと感動してしまいました。
アパートに帰ると友人2人も起き出して心配してくれました。
僕は青い顔をして少し震えていたような感じだったからだそうですが、話を聞くと、そんな光ったバックルのついた靴はいてるからだとか叱られ、そんな親切なことは自分たちには起こったことがない、ラッキーだと言われたりしました。自分では今でも、もしかしたら単に話しかけられてただけかもしれない、とも思うのですが、NYに慣れてて、すっかり油断してたけど、やっぱり人通りの少ないところを歩くときは気をつけなきゃいけないんだとつくづく思いました。
2000年代になってからはますますきれいに安全になったNYですが、今でもクイーンズやブロンクスへ行くと、あの垢抜けなかったハーレムを思い出します。
この夜のことがあって、ほんとに気をつけなきゃと思ったのもつかの間、そのわずか7時間後に今度はもっとダイハードな経験が待っていることなど知らずに、疲れきってベッドに入った僕でした。

後編に続く