武勇 辛口純米酒
 なんとも勇ましい名前の銘柄
 スッキリ辛口
 
武勇
江戸時代末期の慶応年間(1867年)
越後出身の初代保坂勇吉が、結城で酒蔵を創業。当時の結城は、鎌倉時代から続く結城紬の生産がさかんで、酒蔵や味噌蔵などが10軒ほど連なる城下町でした。

そんな結城の地での160年間の歴史は、決して平坦なものではありませんでした。

第二次世界大戦のさなか、武勇六代目保坂大二郎の母はまだ小学生でしたが、結城の上空をB29が通る景色を今でも憶えているといいます。

この戦争で政府は、寺の鐘や学校の金属製の像、一般家庭の鍋や釘までも供出させました。酒蔵も例外ではなく、酒づくりに欠かせない金属製の釜を供出しなくてはなりませんでした。

戦後、もちろん供出した釜が返ってくることはなく、結城でも半分以上の酒蔵が廃業へと追い込まれることとなりました。さらに日本中が深刻な食料不足になり、米は配給制となります。日本酒の原料は米と水。武勇も決められた量の米しか配給されず、生産量を増やすことはできませんでした。
 
ただ酒は国が価格を管理する公定価格だったので値が下がることがなく、なんとか酒づくりを続けることができました。
 
敗戦後の深刻な物資不足、精神的にも疲弊した庶民の生活の中に、小さな光として日本酒が根付き始めます。1日の終わりに、少し値段は高くとも日本酒を飲む。口に含めば米の香りが日常を忘れさせ、心地よい酔いは緊張をほぐします。「よし明日もがんばろう」と日本酒で気持ちを切り替え、次の日からの仕事に励むことのできた人々が日本中にいたことでしょう。

苦しい戦後を経て、やがて時代は高度経済成長期へと移り変わります。電気製品や車などの産業が好調で国が盛り上がる中、酒蔵を始めとする醸造業は、斜陽の時代を迎えます。
 
イロイロとご苦労があったようです
美味しゅうございました
お願いグッグッグッ
 

 

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