元BOSSが好きだった維新號。会食をするとお土産を持たしてくれた。「デパートで売ってるやつとこの店で売ってるにくまんは違う!別物だ!店で売っている方が絶対に旨い」と申しておりましたが真相は不明です。

蒸して食べるに限る!大賛成
にくまん豚まんかは置いておいて
蒸し器で蒸す
15分程蒸して
食べやすい様に半分に切って
お肉たっぷり
ホタテスープ
美味しゅうございました
お願いグッグッグッ

維新號の歴史は、遠く明治32年(1899年)までさかのぼります。明治20年頃、創業者の鄭余生は20代で、単身寧波(上海より少し南の港町)より来日し、横浜の羅紗専門店で働いていました。明治32年に外国人の居住地以外の内地雑居が可能になったのを機に、東京・神田地区の神田今川小路に清国(中国)の留学生を相手に簡単な “郷土料理店”を開いたのが維新號の始まりです。

 当時の日本で、中国料理を食べる機会のなかった彼等は、祖国の味を求め維新號に集まり、店は大変賑わっていました。その中には後の中国で活躍する周恩来や蒋介石・魯迅の姿もありました。大正中期に至るまでは留学生相手の“故郷飯店”を運営していましたが、 時代の流れと共に留学生の数が激減したのを機に、日本人相手の“中国料理店”に大変身を遂げました。 

この頃の維新號の名物料理は何と言っても“フカヒレの姿煮”で、戦争が終わり神田今川小路の店を閉めるまで、 日本の政財官界のお客様や、財閥の出張宴席など料理店維新號は全盛期を迎えました。

戦争が終わり今までのようなお客様への営業は続けられなくなり、昭和22年(1947年)銀座に店を移し、“料理店・維新號”から“まんじゅう屋・維新號”へと、時代のニーズと共に変化しました。このおまんじゅうは大ヒットし、今でもたくさんのお客様に愛され続けている“維新號のおまんじゅう”として現在に至ります。


「豚まん」と「肉まん」
関西では「豚まん」という。関西で肉というと「牛肉」だから「肉まん」としたら「牛肉はいってるん?」となるのであえて「豚まん」とした説。

551蓬莱
神楽坂五十番
一番好きなのは……

決めれない!