友情 1 | 鬱でPUNKなブログ

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             同調

 

私達にとって幾つになっても、かけがえのないものがある。その1つが、友情だ。友情は人間社会を作る為に必要不可欠なものだ。か弱き存在だった私達の祖先が、協力して育んだ友情。しかし現代社会に於いて、其の大切な友情が変化してきている。ヒトが発明し集団で生きる原動力になった友情。その恵みと忍び寄る危機とは?

 

 

 

そもそも友達とは血縁関係以外で持続的で対等な関係の者を言う。そして自己犠牲を伴っても相手の為に何かしてあげたいと思える者だ。だが、近年は友情という概念が薄れ始めている。それはAIなど人間でないものが、友に取って代わろうとし始めている。

 

 

 

人間にとっての友情は、他の動物には見られないものだ。家族の単位が集まって集団を作り、多くの集団が出来上がる。その集団同士は柔軟な交流をし、ヒトは其の集団間で移動する様になり、友好関係を作っていく。やがて様々な目的に応じた多彩な集団が生まれ、社会という大きな枠組みを作る。こうした複雑な社会を維持する為に人が、発明したのが友情なのだ。

 

 

 

私達、人間が友情を育む為には相手の気持ちを想像する事が大切になる。4歳児には未だ備わっていない。相手の気持ちを理解出来る様になるには長い時間をかけた訓練が必要なのだ。こうした訓練は兄弟が居る場合には日々の生活の中で積み重ねていく事が出来る

。1人っ子の場合は人形を相手に名前を付けて会話したりする。又は空想上の友達を作り会話をするのだ。

 

 

 

此れは4歳~5歳位に見られる特徴で、相手の気持ちをシミュレーションしているのだ。空想の友達は4歳がピークで、およそ半数の子供が持っている。其の後、徐々に減って行きリアルな友達を増やしてゆく。子供達は長い訓練を経て、友情を築いてゆくのだ。映画「スタンド・バイ・ミー」で描かれるのは思春期の少年、4人が旅に出て

様々な体験を共有し、親友と呼べる関係になる物語だ。

 

 

 

 

では、親友の定義とは?それは人生の或る時期を共に過ごし、其の中で信頼関係を得た友人ではないだろうか。其の友人の視点と自分の視点を比べ、自分だけの視点から、広がりを持って他者の視点に開かれていくのだ。親友体験は其の後の人生のコミュニケーションにも、重要な役割を果たすのだ。そんな親友とも言うべき、真の友達関係を作るのに必要な物は何なのか?

 

其れは、新しい事を共に経験する事では、ないだろうか。同じ空間に共に居て顔見知りになり、身体を共鳴させる必要がある。其れがあって初めて友情が育まれるのでは、ないだろうか。頭だけや言葉だけでは友情は出来ないのだ。元々、身体の同調は共感を呼び易い

。例えば、ダンスを一緒に踊るというのは自分の身体を他者に預けるという事だ。一体となって踊るので同調の権化の様なものなのだ

。其れにより、共感が生まれるのだ。音楽は正に共感を生む、最高の仕掛けなのだ。

 

           2に続く

 

           でわでわ