※このブログの最後に、カッコ良く韻を踏みます。



『心・技・体』



最近、この言葉の凄み・深み・重みを、すごく痛感しています。

例えば、近ごろは、6月から月1で通ってる個人参加のフットサルに加えて、昔のつながりが復活し、月2くらいで休みの日はフットサルをしてるのですが、
この『心・技・体』を3つ揃える難しさ、そして3つ揃えたときの美しさ・素晴らしさを体感します。

心:ボールを持ってない時の動きや、ディフェンス時の巧さは『心』にあると思います。
フリーになってボールを受けたい!相手FWにここでは受けさせたくない!などといった心の叫びが、じゃあどうすることがベターかを考える、そして相手が嫌がる動きにつながる。そんな気がします。

技:ボールを持ったときに問われるのはこの『技』だと思います。
ドリブルやパスの技術から、身体の入れ方、トラップの際にボールを置く位置など、この『技』がないと、得点に直結しない気がします。

体:最初の5分はキラキラ輝ける。しかし、残りの時間はヘロヘロ…なんてコトになったらチームとしてトータルで考えたら大きなマイナスです。相手がヘロヘロな時にガンガン動けるならば、それは何よりの長所と言える、そう思います。



ここのオーナーは昔は、『技』のコトしか頭にありませんでした。
『技』を用いて相手を小馬鹿にしたフットサル。そんなコトばっかり考えていました。

しかし、『心』や『体』があれば『技』なんかに依存しなくても、相手の嫌がること・得点につながる動きはいくらでも可能である。
それに、『技』一辺倒だと、いくらでもいる自分より『技』に長けてる相手と対面した時、もう手詰まり。何もさせてもらえないのです。

と、今さら、ようやく気付きました。



引き出しは多い方が良い。『心・技・体』を3つ兼ね備えようという意識が昔からあれば、今現在もっとチーム内での存在価値を見いだせるかもしれない。
良く言えば、チームに必要とされるかもしれない。
悪く言えば、チヤホヤされるかもしれない。

そう…ここのオーナーは、チヤホヤされたいのです。



まぁそんなバカ発言は置いといて、ここまでの内容はフットサルをしたコトがある人しかピンと来ないじゃないか!

そんなこんなで、例えば…何でもいいや、あなたは今、何かしらの目標を成し遂げようと努力していると仮定してみてください。

『心・技』は揃っている。
心は目標に向かって意欲メラメラ。ヤル気満々。
技もバッチリ持っている。目標に対する勉強も準備万端。
でも『体』を持っていなかったら…?あるいは『体』を壊したら…?
どこかで息切れし、目標への努力はきっと長続きしないだろう。あるいは身体を壊したことによって誰かに迷惑をかけることになるだろう。

『心・体』は揃っている。
心は目標に向かって意欲メラメラ。ヤル気満々。
体も万全。どんなハードワークにも耐えうる体力・筋力は持っている。決して風邪などひくこともない。
でも『技』がなかったら…?
それは、当たって砕けろ!行き当たりばったり的な、非効率的なものとなる。
また、対人においては、その技術に裏打ちされてない心の熱さは、暑苦しい・うっとうしいものとして捉えられかねない。

『技・体』は揃っている。
技はバッチリ持っている。目標に対する勉強も準備万端。
体も万全。どんなハードワークにも耐えうる体力・筋力は持っている。決して風邪などひくこともない。
でも『心』がなかったら…?あるいは『心』を壊してしまったら?
心のない選択は人間味を失いかねない。また、柔軟性を伴わない可能性がある。
また、目標を達成する過程で心が壊れてしまえば、目標の達成は遠退くだろう。
また、不機嫌やイライラ感は、周りにいる人間に伝染し、その場の空気を重くしかねない。



やっぱ、誰が言ったか知らないが、『心・技・体』と最初に3つ並べた人間は、さすがだ。モンテスキューの再来と言えよう。



まぁ何が言いたいのかというと『心・技・体』のうち、2つでも揃ってる人はすごいと思う!ってコトです。



今のここのオーナーは、自分では『心・技・体』3つ備わっているとは言えません。
しかし人間誰しも、3つを備える力はきっとある。心の奥底にあるポテンシャル、潜在能力を潜在させたままで、顕在化させてないだけなんだ。
みんなも、そしてここのオーナーも。



ここのオーナーにも『心・技・体』

備えられると『信・じ・たい』