*ネタばれを含みます。
(この作品の、ミステリとしての位置づけについて)
・『花の下にて春死なむ』を読んでいて謎解きの部分でもやもやしたので、ミステリというジャンルについて少し調べてみて、新井久幸『書きたい人のためのミステリ入門』(新潮新書)に行き着きました。
・この本では、ミステリの備えるべき要素として、謎、伏線、論理的解決の三つを挙げています。謎は当然として、謎解きの手掛かりとしての伏線と、(勘や曖昧な根拠ではなく)それらの手掛かりを用いた理屈の通った解決が必要だ、というわけです。『花の下にて春死なむ』に収録された各作品には、謎はあるにしても、伏線や論理的解決が十分提供されていないため、読んでいてもやもやしたのだと思います。
・『花の下にて春死なむ』の謎解きが不十分だとしても、この作品には、それを埋め合わせるだけの魅力があるように感じました。文庫本の解説にも出てきますが、工藤の造形や料理を含む香菜里屋の雰囲気、登場人物の人生を感じさせるエピソード、人によっては三軒茶屋周辺や作中に描かれた時代も楽しみ味わうことができそうです。先の三つの要素を備えたものを本格ミステリと呼ぶのだとすると、謎解きの要素を含みつつ、ミステリではない(いい表現を思いつきませんが)一般の小説にかなり寄ったあたりに位置づけるべき作品なのかな、と考えました(逆に、ミステリに分類されない作品でも、謎を解いていく要素を持つものは結構あると思います)。
・作者の北森鴻さんの『凶笑面』という作品は第1回本格ミステリ大賞の候補作になっているそうです。作品ないしシリーズによって本格ミステリとより緩やかな?作風を使い分けておられたのでしょうか。
「花の下にて春死なむ」
・七緒と草魚が関係をもった後、草魚の死まで1年ほど経っていますが、二人で香菜里屋に行ったのがただ一度と書かれ、七緒が工藤に電話するシーンや七緒が草魚の姉と会話するシーンで体の関係が一度だけであったと述べられており、更には、草魚が体調を崩しても七緒に連絡していないことからすると、二人は、その後句会の同人を越えた付き合いはなかったことになるかと思います。句会で顔を合わせたとき、互いにどのような感情を持ち、周囲はどのように思っていたのか、あたりをテーマにしても物語を作れそうな気がしました。長峰が七緒に草魚の句帳を押し付けたシーンからすると、少なくとも長峰は分かっていたのでしょうね。
・工藤は草魚の「チシャもみ」という発言から山口出身であると推測しています。確かに山口でも食べられているようですが、香川県のHPでは讃岐の食として紹介されており、これはやや強引な推論に思えました。(https://sanukinoshoku.jp/local_cuisine/%E3%81%A1%E3%81%97%E3%82%83%E3%82%82%E3%81%BF/ : 2025年3月21日確認)
・長府の街に行ったことはありますが、そのときは美術館目当てだったので、あまりあちこちは行っていません。次に行く機会があれば、この作品を思い出しながら歩くと楽しそうな気がしました。
・草魚の故郷にまつわる謎は、読者が先を読みたくなるという点ではいい仕事をしていると思います。ただ、自分が謎解きを楽しめたかというと、例えば当時コレラが流行していたことと、草魚の父がえらく自尊心の強い人だった、という事実から火事の原因を推論することはとてもできませんでした。読みながら考えようにも、謎の提示と解答の提示がくっつきすぎているような。ミステリーを読みつけていないのでよく分かりませんが、こういうところで一度本を閉じて考えてみるべきなのか、それとも問いが示される前に伏線が張られた時点で怪しいと気づいて考え始めるべきなのでしょうか。
・彼の死の床でなぜ桜が咲いたのか、という謎については、正直、ピンと来ませんでした。七緒が長府に向かう前に工藤が疑問をつぶやいてはいますが、そこでは考える材料があまりなく、七緒が東京に戻ってからの会話で一気に謎が解明されてしまうので、読者としては考える余地があまりなく、せっかくのネタなのに勿体ない出し方だな、という印象を受けました。ミステリーに慣れた読み手だと、違う読み方をされるものなのでしょうか。
・タイトルの由来となった、草魚と西行のイメージの重なりは、確かにどちらも漂白の人なのでしょうが、これもあまりピンと来ませんでした。草魚については漂白の間に何をしていたか、与えられた事実が少なすぎ、西行については自分がよく知らない上に、芭蕉とか一茶とか、他にも旅の人生を送った人は結構いそうなので。西行ないし俳句に詳しい方がいらしたら、教えて戴きたいポイントです。
・読みながら、出てくる句の出所が気になっていたのですが、最後の注で解決しました。
・香菜里屋という、西洋の音に漢字を当てた表記について。音を表すのに漢字を使うことについては万葉仮名以来の伝統があるのだと思いますが、西洋の言葉に漢字を当てて店名などに使うというのは、おそらく江戸末期か明治以降の話だろうと思います。その辺りの歴史を調べてまとめている本などあれば、読んでみたいなと思いました。
「家族写真」
・冒頭のあたりの、同居した女が出ていって以来、のような表現が伏線になっているとは気付きませんでした。また、記事がニセモノであることの手がかりは記事の文章自体として提示されているわけですが、そこも伏線とは気付きませんでした。その辺りはミステリーを勉強させてもらっている感じがしました。ただ、誰が誰を探しに来たのか、という点については十分なヒントがなく、読み手が与えられたヒントをもとに謎解きを楽しむのはいささか難しいのかな、という感想を持ちました。
「終の棲み家」
・謎が提示され、探偵役の工藤が推理を披露し、それからより細かいところまで真相が明かされる、という構成がすっきりしていて分かり易かったです。
・ただ、相変わらず、読者が謎を解くには手掛かりが少ないように感じました。
・それから、老夫人がポスターを一枚剥がしたら止まらなくなった、という心情は今ひとつ理解できず、また、大量のポスターを一人で剥がして持って帰るという行動の現実味にも疑問を持ちました。
「殺人者の赤い手」
・ひずるの弟の14年前の死と、最近の香菜里屋の近所の殺人事件の二つの謎が出て来ます。複数の謎を組み合わせるのは表題作と共通しており、これは北森さんの得意技なのかも、と思いました。
・「赤い手」が二つの謎をうまく結びつけているのは、上手いな、と感じます。
・ひずるが工藤に14年前の事件の話をした夜、百瀬が店のドアを叩いたところから、話がいきなり日曜日に飛びます。その夜に14年前の話がされ、日曜日に最近の事件の謎解きがされた、と考えるべきなのでしょうが、その辺りの話の進行がちょっと分かりにくいように感じました。
・最近の事件について。第一発見者が犯人だった、という落ちで、「赤い手」のひねりが目眩ましになっているのでしょうが、最初に発見者として言及されていたとはいえ、推理が進む過程で全く出てこなかった出前持ちが最後にいきなり犯人として指名されるのは、ちょっと唐突に感じました。
「七皿は多すぎる」
・東山の話に出てくる中年男の話しぶりに、昭和を感じました。
・女性の寿司職人の描写に出てくる「焼きも強い」という表現は、初めて見ました。気が強い、みたいなことかなと思いましたが、ご存知の方があれば教えてください。
・いろいろな解釈が提示されるけれども一つの結論に到達することはない、という終わり方があるのは、ちょっと驚きました。謎解きの過程そのものを楽しんで答え合わせはなし、というのもミステリの範疇に入るのでしょうね。
「魚の交わり」
・香菜里屋に手紙が届いた経緯について、コピーをくれた人に訊いても掲載雑誌が判明しない状況を、うまく想像できませんでした。七緒の記事は実は一部界隈で評判をとっていて、コピーが何人もの手を経て流れてきた、とか?
・草魚のものらしい作品は自由律句とされていますが、例えば「故郷に不意に出会ってしまったよ銀座三越獅子秋眠るまえ」の「秋眠る」を工藤が言うように「ねむる」と読めば綺麗に五七五七七となるので、短歌に区分されるのではないかと思うのですが、こういうものも自由律句に入るのでしょうか。だとすると、俳句と短歌はどこで区別するのでしょう?
・草魚が銀座で出会ったのは、八海事件の被告人のうち4人の無罪の知らせのようですが、具体的にどのようにその報に接したのでしょう? 街頭テレビ? 号外? 七緒は「夕刊紙の見出しでも読んで、そのことを知ったのだろう」と想像していました。
・七緒の推理では、草魚が盲人のふりをしていて、それに気づいた絹枝が自殺した、ということになっていましたが、絹枝が「事故を装って死ぬしかなかった」心情について、少し説明が欲しいなと思いました。工藤は、最後のシーンで、絹枝は「早くから気が付いていたかもしれない」、自殺したのは「解放してあげたかったのかも」しれない、と言っていますが、それはそれで絹枝の心情をもう少し掘り下げたくなります。
・同じく七緒の考えでは、「目が見えないふりをしている草魚は、当然ながら長府の姉に葉書を出すこともできなかった」とされています。ここもよく分かりませんでした。確かに絹枝の目の届くところでは無理でも、自由に動けない絹枝とは別行動をとっているときに葉書(の宛名)を書いてポストにいれることはできたのではないでしょうか。
・七緒は高塚からのプロポーズの答えを「ちゃんと用意している」そうですが、それは作品中では明かされません。続編で分かったりするのでしょうか。