イタリアには幽霊がいないらしい。

イギリスや北欧の国々などには亡霊や幽霊の話しがたくさんある。
だけど、イタリアではそうした話しを聞かないという。

イタリアには、ローマがありバチカンがあって教皇がいる。
ここは、神の国に一番近く神聖にして栄光の地であるわけだから、この世に遺恨を残して、さ迷い出る霊魂など存在しないと言うわけだ。あるいは、その乾いた気候がメンタルの部分でもそうした話しを醸し出す風土にないのかもしれない。


「私、不思議な経験をしたことがあるんです。」
 

僕が札幌で出会った女性の話しはこうだった。

数年前、彼女のおじいさんが亡くなった。多くの親族が集まって、お通夜を営まれた。もちろん彼女も駆けつけた。彼女は、その祖父にかわいがられていた。所謂、おじいちゃん子だったのだ。

通夜の席で、亡骸を前に彼の生前の話しがしんみりと取り交わされた。
誰かが、たばこが好きだった彼のために、火をつけたたばこを、線香の隣の灰皿にそっとおいてあげた。

すると何故か、彼女にはそのたばこが気になって仕方がなくなった。
周りにいた親族も何とはなくそのたばこに視線を落としていると、いきなり、それが誰も手を触れていないにもかかわらず、360度、くるっと回転したのだ。

彼女は自分の目を疑った。そして、恐る恐る、
「ねぇ、今、たばこ、回らなかった?」と、他の親族に尋ねてみた。


「…ああ、動いた。くるっと回った。」
何人もの身内がそれを目撃していた。


「私、もうびっくりしちゃって、悲しいどころの話しではなくなっちゃったんですよ。」


彼女は真顔でそう僕に話した。


 

「おかしな事を言うようだけど、」と僕は言った。

「それって、きみのおじいさんがきみに送ったシグナルだったんじゃないかな?」
 

合点のいかない彼女は「はぁ?」と応えた。

 

「かわいがっていた孫娘に自分は元気だ。そしてすぐそばにいて見守っている、という事を、おじいさんは伝えようとしたんじゃないかな?もちろん妙なことを言っているとは思うけれど、もしそれが何らかの物理現象であったにせよ、あるいは超自然のチカラによるモノであったにせよ、僕らが一番しっくり来る答えは、それしかないように思うけどね。」

「…そうね、そうだったのかもしれない。」


おじいさんとの思い出が胸に去来したのか、彼女の瞳が潤んだように見えた。
そして、まるで10歳の少女のようなあどけない顔で「おじいちゃん…。」と彼女はつぶやいた。

イタリアには幽霊はいない。
しかし、この東の果ての国には、それが存在するようだ。

でも、人々に畏怖を感じるだけのものではなく、それは愛情に満ちウェットでもある。神の地を遠く離れた僕らは、ある意味、幸福なのかも知れない。