「あいつは、その日突然いなくなったんだ。部屋には、ヤツのモノなんか、まるで最初からなかったみたいにキレイになくなっていた。」

友人は3年間、その部屋で彼女と同棲していた。
どちらかと言うと寡黙な方であり、不平不満などは殆ど口にすることはない女性だったらしい。美人だが、目立つ方ではなかった。彼女は、つつましい幸福を求めていた。それは、彼との日常と二人の子供だった。

しかし、ワケあって、彼は彼女となかなか一緒になるコトができなかった。

「おそらく一緒に暮らし始めたその時から、のどまで出かかるその言葉を必死で飲み込んでいたんだ。今になってそれがよくわかるんだ。」

『私には限られた時間しかないのよ…。』

「それを超えて、一人のオトコと未来を語るなんてことをするようにオンナは出来ていないんだ。わかっていた。いつかこうなるコトが…。」

ため息まじりに紫煙の向こう側で彼は言った。

僕はただ、黙って苦いコーヒーを飲んでいた。
 

損なわれた想い、失われた時間、違えてしまった道。

それはとても不器用な愛だった。

 

求め合いながら素直になれなかった二人。
それ故に、愛がひとつ死んで行く。
大事に育てようとした二人によって土くれに還っていく。

 

僕には、小さな柩に手向けられた美しい花々と、それを打つ鎚の音を想像すること以外出来ることは何もない。

 

そして彼らでさえ、そのクギを打つことしかできることはない。

 

望むらくは、その函が埋められた密やかな草原に、色とりどりに取り巻く花々のあることを…。

 

潤んだ彼の瞳を見つめながら、僕はその草原に音もなく降る雨を思った。