T3はT2の続編ではない     『T3の呪い』 | T-960の記録

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ターミネーター2 にはカットされたハッピーエンドがありました。

試写会で不評だったので「未来はわからない」というサラの言葉とハイウェイの映像に変更されましたが、1994年のサラにとっては未来はわからないのであって、キャメロン監督の意図としては、T2でスカイネット誕生は阻止され審判の日は起きない事になりました。

他の人がスカイネットの様な物を作る可能性はあるので『未来はわからない』し、映画としてもハッピーエンドを見せるより科学技術の暴走への恐怖の余韻を残す方が良いと思います。

「可能性の未来」「no fate」「未来は変えられる」という言葉から、スカイネットは阻止出来ただろうと読み取れます。

キャメロン監督の意図としては、T2でスカイネットを阻止して終わり。
T2後のインタビューでも「これ以上語るべき物語はない。ターミネーターの続編は作らない」
と発言していました。



ところがT3が作られてキャメロン監督は激怒。


ターミネーターはサラが運命を切り開く物語なのに、3では既に死んでいる。

スカイネット誕生を阻止出来なかった事にされてしまった。

バックアップから別人が作ったので同じスカイネットではないし、他の人がスカイネットのような物を作る可能性はT2の最後に暗示されてはいます。

でも3の表現だとT2の闘いや犠牲が台無しの印象です。


3の監督や脚本家はターミネーターの物語を循環型で考えていたのでしょう。

(ターミネーターの物語が循環型でない説明はターミネーターの時系列のテーマで過去に書いてあります)


T2の物語の意味を誤解否定した。

ターミネーターはサラが未来を切り開く話です。

3は運命ではないと言いながら、変えられないで終わる。


希望がない、ジョンの年齢が合わない。

などT2の続編とは言いがたい内容なのでキャメロン監督の怒りは当然です。

「美味しいスープに小便を入れる様なもの」ということわざでキャメロン監督はT3を評価しました。


3のせいでT2の物語への誤解が多数派?となりキャメロンさんは歯痒い思いでいた事でしょう。



2019年にターミネーターの映画化権がキャメロンさんに戻り、作られたのがターミネーターダークフェイトです。

ターミネーターの主人公はサラ、グレースのセリフでスカイネット阻止は成功したと明言されました。


しかしTDFへのファンの評価は今一でした。

ジョンの死を受け入れられないファンの気持ちはわかります。

新鮮さが無いという意見にはある程度同意しますが、T1T2の物語を正しく理解した続編はTDFが初めてです。


「正統続編」と公式が宣伝、キャメロンさんが「3以降は悪夢または別のタイムラインの出来事とする」と発言した事への反発もありました。


「ターミネーター好き」や日本の「映画評論家」の大半は3をT2の続編と考えている様です。

3が初めからあった若い観客がT2の続編だと誤解するのは仕方がありません。

当時T1を観た映画評論家すら誤解している……

その誤解が蔓延している事がキャメロン監督にとっては悪夢でしょうね。


345などもT2の続編では無いと割り切って観ればそれなりに面白い作品なので、無かった事にではなくT1の前日譚だと思って観れば良いと私は思います。



TDFは3部作の土台、続編が本番だそうです。

ターミネーターシリーズをキャメロン監督の思い通りの形で完結させて欲しいです。

(TDFの興行成績的に難しそうですが)


T1T2の物語が誤解されている事とTDFが正しく評価されない事が残念です。





「人間の運命は自由意志によって開拓することができるか
(中略)一方でそれに反対する運命論者もいる
(中略)運命は変えられると
そこが好きなんだ
僕は2作品に通じたテーマだと思うよ
自己を犠牲にした人が多かったけど
世界の終わりに直面してたんだ
人類の存続がかかっている

1人の人間の判断が
その時々の状況を変えてしまう
どんな些細な事でも
重大な結果を生みかねない」

キャメロン監督のT2副音声解説より


キャメロンさんが3に怒ったのは、このテーマを受け継いでいないからでしょう。

私がT3に3と名乗って欲しくない理由がこれです。
私は3も単独の話としてなら、それなりに楽しめます。





T3のサラは1959年生まれなので1984年には25歳。
T1のサラは19歳なので、T1とT3は別の世界。

T3のジョンは13歳の時にターミネーターに襲われた。
T2のジョンは10歳なので、T2とT3も別の世界。


つまりテーマも設定も繋がらないT3は、T1T2のその後では無い。

T3は、本当にT2のその後のつもりで作られたのでしょうか?

「T1T2の理解が浅い人が続編のつもりで作った駄作」ではなく「別の世界線の話として作ったのにその後だと誤解された」と言われた方が納得します。


独立した話を無理に繋げて考えると矛盾がどうのと引っかかり、その作品を正しく理解出来なくなります。

「未来は変えられる」というテーマを共有していない3、4をT1T2の続編だと思っていると1、2の意味を誤解してしまうし、5や6の価値がわからないのはもったいない。

345TSCCは独立した話だと割り切った方が全ての作品を矛盾なく楽しめると思います。

好きな作品を黒歴史とか無かった事と言われたら嫌だけど、独立した話なら問題ないと思うのですが。