今日は土曜日。

相方は早朝から友人とゴルフ⛳

ひとりの時間を満喫だ照れ

と言っても、掃除洗濯、買い物をして午前中は終わりそう。

午後は少し在宅の仕事をして、夕飯も作るから、平日の過ごし方と変わりないよね口笛

 

今日は少し考えさせられる日で、それは5年前の今日、母が脳幹出血で倒れたから。

日曜日の夕方、父から電話があって、冗談好きな父の言葉をすぐに飲み込むことはできなかった。

ドラマのようなことが起こって受け止めきれずに、少しのん気に「わたし帰ったほうがいいのかな?」って相方に言った記憶がある。

その後すぐに新幹線に乗るのだけれど、姉から電話がかかって来て「もうダメみたいだよ」って。泣き出す姉に「しっかりして!」って言ったけれど、自分こそしっかりしなきゃいけなかった。

 

病院に着いたのは夜10時過ぎだったと思う。

親戚が母のベッドの周りに立っていた。

「遅くなりました」って頭を下げながらベッドに近寄り、意識のない母の顔を見た。

 

父は心筋梗塞とパーキンソン病を患っていたので、いわゆる「老々介護」だった。

母は若いころからずーーーと苦労ばかりさせられていて、わたしだったら絶対離婚してると思う。

それでも「情」に篤い人で、本当によく介護してた。

その頃わたしは定期的に実家へ帰って、1週間から10日間くらい滞在して手伝っていたのだけれど、母でないとダメっていうことが沢山あった。

 

「父さん、80歳まで生きれたべが?」って言う母に、「父さんが亡くなったらさ、温泉さ行ったり旅行したりしようね」って言ってた。

そんなこと言ってないで早く行けばよかった。

 

ずっと走り続けているくらいの心拍数で5日間頑張ってくれたけれど、意識が戻ることなく26日の夜10時ころに母は亡くなった。

3回咳き込んだ後、もう息を吸うことはなかった。
孫たちが帰って、姉と相方とわたしの3人になった途端だった。


 

人生は何が起こるかわからない。

後悔先に立たず。

会いたくても、もう会えない。

 

多分、父が亡くなっても(85歳、健在びっくり)同じ気持ちにはならないと思う。

なんて言うか、心の準備ができているから。

母の死は突然で衝撃が大き過ぎた。

 

5年経って、もちろん心は落ち着いていて、涙なしで母のことを思い出せる。

でも、何かあると今でも時々心の中で「母さーん」って呼びかける。

してあげたかったことができなかった後悔と、二度と会えない喪失感がなくなることはないと思う。

 

こうして、ひとりでじっくり思い出していると、ちょっぴり涙が出ちゃうよタラー