こんにちは
昨日は今年初めての雪がちらついていましたが・・・
今日は青空がまぶしい日になりました。
庭の雪もすぐに解けてしまいましたが、風は冷たいですね。
以前から気になっていた「高村光太郎の九十九里の旅」を
辿ってみたくなり、先日実行してみました。
高村光太郎
1883年3月13日生~1956年4月2日歿(享年73歳)
詩人 歌人 彫刻家 画家
「智恵子抄」や十和田湖畔に佇む「乙女の像」でよく知られている芸術家ですが・・・
妻 智恵子の病気療養のために、この九十九里町真亀の
松林内に住む実妹せつ夫妻の「田村荘」に智恵子を預けていました。
昭和9年(1934)5月から12月までの8ヶ月間、病気療養していた智恵子を、
高村光太郎は毎週かかさず東京から訪ねてきて見舞っていたそうです。
東金九十九里有料道路の今泉駐車場に
高村光太郎と智恵子の像があります。
有料道路建設の際に造られたモニュメントだそうで・・・
九十九里有料道路に入らなければ見ることができないお二人の像です。
≪千鳥と遊ぶ智恵子≫がモチーフの光太郎と智恵子の像
逆光でうまく写せませんが・・・
トイレと自販機があるだけの駐車場ですが、
ヤシの木が南国風で、周りもきれいにお手入れされていました。
随筆「九十九里浜の初夏」より
≪千鳥と遊ぶ智恵子≫
人っ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂に座って 智恵子は遊ぶ。
無数の友達が智恵子の名を呼ぶ。
ちぃ ちぃ ちぃ ちぃ ちぃ_
砂に小さな足跡をつけて
千鳥が智恵子に寄って来る。
口の中でいつでも何か言っている智恵子が
両手をあげて呼び返す。
ちぃ ちぃ ちぃ_
両手の貝を智恵子がねだる。
智恵子はそれをばらばらに投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子を呼ぶ。
ちぃ ちぃ ちぃ ちぃ ちぃ_
人間商売さらりとやめて
もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉を浴びながら 私はいつまでも立ち尽くす。
高村光太郎
九十九里有料道路を降りて
智恵子抄の詩碑を訪ねてみました。
「サンライズ九十九里」の裏手に「智恵子抄」の一節「九十九里の初夏」を
記した詩碑がありました。
光太郎のペン字を拡大して彫刻したものだそうです。
智恵子が遊んだ真亀海岸
この日はサンライズ九十九里から親子連れさんが遊びに来ていました。
智恵子が千鳥と遊んだ時には人っ子一人いなかったという真亀海岸
国民宿舎「サンライズ九十九里」
智恵子の詩碑はこの裏の海岸近くにありました。
階段をのぼると、そこには
≪千鳥と遊ぶ智恵子≫のレプリカが・・・
駐車場の光太郎は眼鏡をかけていましたが、こちらは眼鏡がありませんでしたよ。
三里塚御料牧場にも高村光太郎の詩碑があるのを思い出しましたので。。。
≪春駒≫の詩碑
1924年(大正13年)春、光太郎が三里塚で遊んだとき
御料牧場の広大さと荒々しく駆け回る若駒の初々しさを詠んだ「春駒」
三里塚の春は大きいよ
見果てのつかない御料牧場にうっすり
もう秋緑の絨毯を敷き詰めてしまひ 雨ならけむるし、露ならひかるし
明け方かけて一面に立て込める杉の匂いにしっとり掃除のできた
雨土ふたつの風景の中へ・・・ 「春駒の一節より」
最後に
高村光太郎の{道程」を・・・
道程はもとは102行あり、過去から現在に至る光太郎の歩みを綴ったものでしたが
その最後の7行を独立させてこの形になったのだそうです。
≪道程≫
僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる
ああ、自然よ父よ
僕を独り立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気迫を僕に充たせよ
この遠い道程のため
私の年代では小学校の時に習った気がします。
今の教科書には載っているのかわかりませんが。。。
お付き合いくださりありがとうございました
今日も素敵な一日を~