上のお写真は 特別な春の報恩大授戒会の時です
(總持寺さまのHPから 写しました)
特別に方丈様が多いのですが
本当に毎朝 毎朝
和尚様方は  ここで お勤めをしております
一週間 そのお勤めをご一緒させていただくと
だんだん お坊さま方と一緒にお勤めできるようになります

{62FE8B7E-3DEF-4EE8-8938-E7ACAF49B5A7}




そのお勤めの中に 「大悲心陀羅尼」
というお経があります
曹洞宗では ちょっと 特別です

{BA6CBAFA-EB32-4A36-9B07-EB252288392D}



というのも この總持寺をおこされた瑩山様の後
お弟子様に 峨山様という方がいらっしゃいました
とても人々 慕われたのでしょうね

瑩山様の後 峨山様は 輪島にあった總持寺の
ご住職になりました
(明治まで總持寺は輪島にありました
火事で横浜の現在の場所に移りました)

その時 峨山様は 羽咋の永光寺(ようこうじ)という
大きなお寺のご住職でもありました
二つのお寺は 50キロ以上離れております
峨山様は 二つのお寺のご住職になられたのです
時は13世紀です
移動手段は 自らの足です
かなり険しい山道です
そこを毎日 往復したとされています
永光寺(ようこうじ)での 朝のお勤めをしてから
總持寺に向かうのです

峨山さまを待っている方の總持寺では
一緒にお勤めをしたい一心で
ゆ~くり と お経を読んでお待ちしました

慣れた方で お経は1分間に120回木魚をたたきます。
1秒に2回として
ゆ~くりは 2秒に一回 4倍時間をかける感じかな~
記憶は あやしいですね
とにかく ゆっくりなのです

それが 途中から早くなります
普通のテンポになるのです
峨山様が お見えになったんだな~と思います


700年前の出来事を
こんな形で 残しているのです
私は 能登にいるのもないのに
朝 お経をあげていると 峨山様が いらしたような錯覚になりました

というのも
25年前 永光寺は
まだ こんなきれいじゃなくて


荒れはてていて 
駐車場から 境内も誰もいなくて
人っ子一人いなくて
ただただ、あれ寺でした
長いこと人の手が入っていないお寺は
時の流れから忘れられ
お寺自体が生き物になって
山すそにねむっているようでもありました
立派な伽藍に そそり立つ法堂の瓦
ゆっくりと 呼吸をしているようでもあって
ただただ 時を抱え込んでいるようでした
 
怖いくらいに妖気がただよっておりました

時空を超えて 祈るものを包み込んだそこは
そのまま 700年の時を大事に大事にしているようでもありました

そこには 峨山さまのお姿さえもその伽藍のどこかに
あるような気がしました

(峨山さま 總持寺様のHPから)

祈る思いは 時空をこえて 
ひとの中に 伝わるように感じたことが
おもいだされました

あの夏から25年
私が 總持寺で お勤めをして
峨山様を お待ちしているような
そんな 錯覚におちいったのは 
授戒会の三日目の朝でした

大悲心陀羅尼 を 方丈様方とあげていると
涙がどうにも どうにも あふれてきました

それは やっぱり700年
型を守ってくださったからなのです
型は その本質を忘れてしまった時に
間違いなく 戻れる大事な基準になります
人の 力はとても小さいから
すべてを意識できません
だから 型で 守ってくださっていることが大事なのです

そう あらためて 深く深くおもった
大本山總持寺様の 朝のおつとめでした