義民の一人、大西与三右衛門の墓所が本長寺(三木市府内町6-43) にあり、昭和 8 (1933)年から毎年12月8日には義民冬祭りが当寺で行われています。

本長寺は、湯の山街道沿いの府内町にあり、文禄元年 (1592)に開かれた本門法華宗寺院である。本寺 開基の入道承慶は、加古弥七郎という別所長治の家臣で、三木合戦の折りに秀吉から武勇を評価され、大西の姓と母衣、九枚笹の家紋を授かったとされる人物で、三木合戦終了後に仏門に 入り本寺を創建した。義民の 1 人である大西与三右衛門はこの分家の子孫とされる。

2008.12.8の義民祭に参加時の写真

右手が本長寺本堂。参列者には三木市の重鎮達が並びます。

中央の義民碑前の提灯には、法華宗の宗紋・鶴丸紋が見え、墓碑前や寺関係者の法被姿には大西家「九枚笹」の家紋が目立ちます。

  

(右) 義民碑 昭和27年(1952)に建立された。

(左) 大西与三右衛門夫婦の墓 宝永元年(1704)に子孫によって建立。本来は境内の別の場所にあったが、冬の義民祭が開始された翌年(昭和9年)に、目立つように現在地に移転されたという。

 

昭和初期からの世界恐慌による経済打撃や昭和7年の死者33名を出した三木町大水害への復興対応に面した時、地域住民を取り込みながら、地域的紐帯としての意味合いを深めるため、義民祭が強化されたという。

それが現在にも繋がっている。

 

尚、お寺では、秀吉公から拝領した桐唐草格子文様片身替小袖 附 桐紋唐松散らし蒔絵箱(県指定文化財)などを拝見することもできます。詳細はまた別の機会に報告したい。