忍頂寺は勝尾寺と共に、平安時代以前から北摂の山岳信仰の中心地の一つとして栄えた寺院である。

忍頂寺の歴史

寺伝の行基菩薩創建や開成王子の創建が言われるが、いずれも史実とは考えられず、851年(仁寿元年)に、勝尾寺三世証道上人の弟子三澄が国家鎮護のため、開基したという説が有力である。

当時は「神岑山寺」と称し、860年(貞観2年)920日に清和天皇より、忍頂寺の寺号を贈られ、勅願寺となった。(これは重要なことで、七高山の一つであるである神岑山がここ竜王さんに否定されることになる。)

永禄の頃には織田信長から保護を受けたが、キリスト教伝播の影響で寺院は焼かれ、キリシタン大名の高山右近に寺領を没収された。

全盛期には23もの寺坊を有し、勝尾寺や神峯山寺などと並び山岳修行(修験道場)の聖地として知られる大寺院 だったが盛衰を繰り返し、支院の1つであった寿命院が現在の忍頂寺として残っている。

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すっかり雨もやみ、勝尾寺を後に、県道43号線に戻り、忍頂寺寿命院に向かう。
山間部に沿って、43号線を進むと、右手に忍頂寺スポーツ公園があり、その先に三叉路交差点・忍頂寺がある。
周辺はいずれも忍頂寺の地名で、かつての寺領の広さが伺われる。

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東海自然歩道入口の立札あり。
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石段上の石鳥居扁額「龍王宮」を潜り、歩いてみる。

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今日は車で来ていたので、杉林の中を歩くのは気持ちが良い。20分程、参詣道階段を登れば林道竜王山線に合流しました。標示板を見ると、目的とするお寺はかなり下方であることが分かり、戻り、再び車で行くことにした。ここから、左へゆるやかな舗装道を登ると八大竜王宮へ続きます。(上の地図の波線部分を歩いた)


忍頂寺交差点から再び、上図のように、細い道路を車で忍頂寺寿命院に向かいます。
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正面にお寺境内が見え、右手には雰囲気の良い杉木立の歩道が続き、山門下に到着します。
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雑草が生え、少し荒れている。山門をくぐると、右手に庫裡らしき建物が建ち、石段を上がると、境内に着きます。
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中央の本堂は屋根を修復中のようで、左手が観音堂である。
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境内右手奥には、少し高台に大きな五輪塔があります。
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忍頂寺五輪塔 府指定文化財 
鎌倉時代後期 元亨元年(1321) 花崗岩 高さ227
火輪の軒の反りと基礎の反花座がみごとである。水輪は壷形である。

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寺の片隅には、近隣から発掘されたものと思われる石仏群が祀られる。
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双仏石というらしい。
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本堂東には、鎮守社である八所神(やとこ)がある。
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左奥の隅から北に向かって、石段や山道が続いているそうで、干ばつが起こった際に開成皇子が池を掘って八大竜王を召請したと伝わる八大竜王宮が祀られる雨乞いの山・竜王山へ向かう道です。
当神社には永仁2(1294)に忍頂寺の住職が八幡講式を勧修した講式の巻軸が伝わり、日本古来の信仰と仏教が結びつく神仏習合の様子をうかがい知ることができる。

茨木市立文化財資料館テーマ展「龍王山をめぐる信仰と人々‐山岳寺院の軌跡‐」のポスターパネルで拝見した仏像を三体紹介しました。
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(左)本堂本尊・薬師如来立像 平安時代後期 
(中)観音堂本尊・聖観音菩薩立像 平安後期の典型的な定朝様
(右)毘沙門天立像 10世紀前半頃の制作

最後に、茨木市の北に佇む竜王山(510m)の写真(茨木市立文化財資料館テーマ展での図録から)を掲載しました。山頂がなだらかな稜線を描き、整った円錐形の山姿は、まさに神が宿る「カンナビ、神奈備」である。
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尚、帰路は県道1号線を下ると直ぐに、新名神・茨木千提寺ICに乗ると一挙に帰神できます。北摂地方がぐんと近くになりました。忍頂寺の南にある大門寺、高槻市北部の本山寺、神峯山寺、安岡寺など北摂山岳信仰寺院への訪問が期待されます。
便利な自家用車利用の寺院訪問はあまり好きではないが…。