引き続き、鎌倉を訪ねて~(4)杉本寺、浄妙寺、報告寺から江の島泊として報告します。
 
浄光明寺の阿弥陀三尊像、年に一回のチャンスに偶然巡り合い、見学できた山中に佇む覚賢塔に感激し、ご住職の丁寧な案内に感謝し、浄光明寺を後にする。
今回の報告は、
杉本寺→浄妙寺→報国寺→バスと電車→江ノ島神社→江ノ島・岩本楼本館泊である。
元来た道を戻り、鶴岡八幡宮前を通過、金沢街道を東へ進み、「岐れ道」三叉路を右へ行くと、左手に杉本寺がある。
ここには、鎌倉~平安期の十一面観音像が3躯祀られ、是非、観仏したい仏像であった。

杉本寺
鎌倉市二階堂にある天台宗の寺院。本尊は十一面観音。坂東三十三ヶ所の第1番札所、鎌倉最古の寺とされている。寺伝によれば、天平6年(734年)行基が十一面観音を安置して創建したのに始まるというからその歴史は古い。
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車が激しく行き交う金沢街道からすぐに境内石段が続き、
「十一面杉本観音」の幟が目立つ。
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上った先に山門(仁王門)が建ち、さらに上ったところに本堂(観音堂)が建つ。
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山門から本堂へ上る正面の鎌倉石の石段は苔が生え、
長年の使用ですり減っている感じが良い。通行禁止となっている。
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散り椿が似合う
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迂回路の石段を上ると、狭い境内平坦地に本堂(観音堂)が建つ
茅葺の密教仏堂。棟札から延宝6(1678)の建立と判明する。
本堂の裏山は杉本城跡であり、本堂右手前には杉本城の戦いで戦死した斯波家長と一族の供養塔とされる石塔群
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右端の一回り大きな深掘りの石像。真に朽ちて自然に戻ろうとしている。
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本堂拝殿、外陣には奉納された納札や絵馬などが所狭しと置かれ、観音信仰厚い寺の雰囲気がプンプン伝わってくる。
外陣に入り、床で続く内陣・収蔵庫の格子戸から、本尊の3軀が参拝、拝観できるが、遠いので詳細には見えない。
810は一日中。毎月1日と18日には午後1時半からわずかな時間に格子戸の中に入り、仏前で参拝できるそうだ。その折に訪れたいものだ。
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(「国宝・重要文化財」大全3 文化庁監修から写真借用)
()中央の像 伝慈覚(円仁)作 重文 像高168.2㎝ 鎌倉時代
衣には古い時代の特色が残るが、鎌倉期に作られた擬古的な仏像と考えられている。
()向って右側の像 伝源信(恵心僧都)作 重文 像高は142.3㎝ 玉眼 
  鎌倉時代
向って左側の像 伝行基菩薩作 像高154.2㎝ 素木の像 別名「覆面観音」「下馬観音」といい、最も古い。というが、写真は見当たらない。

金沢街道を少し東に歩くと、右手に報告寺があり、バス停浄明寺前で待ち合わせであるが、少し時間があるので、道路左側にある浄明寺を訪れる。

木々に包まれた参道が大寺の雰囲気を醸し出す。

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木々に包まれた参道が大寺・浄妙寺の雰囲気を醸し出す。
浄妙寺 
臨済宗建長寺派の仏教寺院。本尊は釈迦如来。鎌倉五山の第五位。開基(創立者)は足利義兼。
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浄妙寺山門
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参道の奥に見える大きな本堂 江戸時代中期の建物
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天正年間に建立された茶室喜泉庵を復興したもので、枯山水庭園が心落ち着く。
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本堂裏の墓地に尊氏の父・足利貞氏の墓と伝える
明徳三年(1392年)銘の宝篋印塔。

約束の14時に、鎌倉市内からのバスが到着し、懐かしいメンバーが降りてきた。「やあー」とみんな元気なようである。歩いて5分ほどの報告寺へ向かう。

報国寺 

臨済宗建長寺派の寺院。本尊は釈迦三尊。
開基は足利家時。上杉重兼も寺の創設に関わる。両氏の菩提寺として栄えました。
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報国寺本堂 リュック姿は友人達
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別名を「鎌倉の竹寺」とも言われています。約2000本といわれる孟宗竹。
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よく手入れのされた枯山水庭園

報国寺からバスで鎌倉駅に戻り、江ノ電で江ノ島駅まで行き、沢山の土産物店通りと強風の海を渡り、初めての江ノ島に到着。江島神社を参拝後、本日の宿・岩本楼に到着した。最近は観光地にて外人観光客を多く見かけるが、ここ鎌倉、江ノ島は特に多いようだ。

江ノ島 江島神社
江の島のほぼ中央にある千年以上の歴史を持つ神社。江戸時代までは弁財天をお祀りしており、江島弁天・江島大明神と呼ばれて人々から篤く信仰されていました。現在でも、江の島を訪れる方の多くが江島神社に参拝します。
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江ノ島の入口に建つ青銅の鳥居 市指定文化財。
文政 4年に再建された。扁額に記されているのは、江の島大明神

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江ノ島の南側展望台付近から外海を望む
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七里ガ浜、鎌倉方面の海岸線を望む
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本日の宿である岩本楼本館
江島神社・奥津宮の別当寺「岩本院」に由緒を持つ宿だそうです。
鎌倉時代より時の将軍・勅使・大名などの宿坊として栄え、今日まで小説や芝居、講談の舞台にも数多く取り上げられてまいりました。
昭和初期に誕生し、国の有形文化財に登録されたという「岩本楼ローマ風呂」と「弁天洞窟風呂」は、当館自慢の神秘の湯。両方ともに入浴しました。岩本楼の歴史や文化にまつわる資料館まである。

夕食は豪華な螺鈿天井のある食堂で貸し切り。7人が1年振りの再会に時を忘れて、盛上がったのは言うまでもない。何といっても健康であることに感謝、感謝である。

明日は、鎌倉大仏、長谷寺、鶴岡八幡宮、鎌倉国宝館を見学し、友人達とは鎌倉駅で解散、小生は、鎌倉駅近くにある教恩寺、寿福寺を訪れたので、次回報告する。