臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。臨済禅と養生の妙薬として茶と喫茶の法を伝えた。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁2年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられています。禅宗寺院として、室町時代には、京都五山の第3位を占めるに至った。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となり、800年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。
当寺に初めて来たのは2006.9で、その後、京都古刹に惹かれ、三年が経ちました。寺参りのきっかけになったお寺です。当時は今ほど人気がなく、訪問客も少なかったようで静かに拝観できました。現在も他の寺に比較すれば、静かな時を過ごせる寺の一つでしょう。有名な古刹なので、紹介はかなり省略し、自分本位に報告させていただきます。

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       方丈と庭園。一部、修復中でした。

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            花頭窓から見た方丈。

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方丈。重文。室町時代の建物で、もと広島の安国寺にあり、安国寺恵瓊(6万石の大名となった禅僧、毛利家の外交僧)が慶長4年(1599年)に建仁寺に移築したもの。各室に海北友松の水墨障壁画があったが、現在は京都国立博物館に寄託されている。台風被害の復旧後は、橋本関雪「生生流転」の障壁画が設置されて観賞できる。

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方丈の石庭(大雄苑の西側庭)。奥に見える木の白い花はクチナシ。満開から少し散り気味でしたが沢山植わっています。普段はクチナシとはなかなか気付かない木です。白い花が咲くと甘い芳香臭で気付きます。

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茶席「東陽坊」。二帖台目席。天正十五年(1587)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した副席と伝えられています。

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       「東陽坊」茶室の西側に設けられた当寺の名物「建仁寺垣」。

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本坊中庭にある「潮音庭」は四方から観賞できる禅庭。苔、石、楓の組み合わせはすがすがしい。蒸暑い中、本坊の重厚な涼しさと自然の涼風が心地よい。ゆったりと時が過ぎます。

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広い畳敷き。この手前にも椅子席がありお茶サービスがあります。桑葉のお茶でした。

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この畳敷きの西向かいの部屋の襖絵「唐子遊技図」。田村月樵(たむらげっしょう)作(1846~1918)。京都生れ。心和む絵です。彼の絵としては東福寺・勝林寺「毘沙門天曼荼羅」の繊細な版木や「七難七福図」を見ました。幼少から仏画を描き、天才肌の画家だそうです。

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平成14年(2002)に創業800年を記念して、小泉淳作画伯筆の「双龍図」が法堂の天井一杯に奉納された。

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浮世絵・木版画の「市村一望堂」。南端の重文・勅使門の前(八坂通り)にあります。小さな店で年配の摺師の方が実際に浮世絵を摺っておられました。気軽に世間話をしていただき、祇園祭の船鉾の描かれた扇子を一つ買いました。

参考までに、建仁寺及び塔頭に所蔵される名画を記載します。
   ①海北友松筆「雲龍図」   重文 京都国立博物館
   ②俵屋宗達筆「風神・雷神図」国宝 建仁寺蔵
   ③伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」    塔頭・両足院
   ④曽我蕭白筆「山水図」      塔頭・久昌院
   

<塔頭・禅居庵>
建仁寺の南端の勅使門西に位置し、正面入口は八坂通りになる。建仁寺二十三代住持である中国出身の僧清拙正澄禅師の隠居所として元弘年間(1331―1333)建てられた。摩利支天を本尊とする摩利支天堂がある。その摩利支天像は猪の上に乗っておられ、猪は摩利支天のお使いとされている。摩利支天は光や陽炎(かげろう)を神格化したものだそうで、日本では護身の神として武士の信仰を集めたそうである。楠正成や前田利家は兜の中に摩利支天の小像を入れて出陣したといわれている。本尊は秘仏。

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       山門。建仁寺境内の放生池の西側からも入れる。

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       猪の彫刻。尊天の使いとして、境内には沢山の猪像がある。

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       摩利支天堂内。

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(カタログ転写) 本尊摩利支天のお前立。7頭の猪に坐す開運と勝利の神。本尊は秘仏。

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庭園。又、書院には「棺割の席」という2畳台目の茶室があるそうです。


<塔頭・堆雲軒>
塔頭・霊洞院の正仲が同院の隠退所として貞和2年(1346年)に創建。高山慈照を追請して開基とした。延宝8年(1680年)に再建された。
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       塔頭・堆雲軒の正面。

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            正面左横にあった沙羅双樹。


<塔頭・大中院>
花見小路通からの建仁寺入口、左手にあります。非公開寺院。
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       塀越しに見えた沙羅の花。


<塔頭・正伝永源院>・・・織田有楽が隠棲した。
建仁寺境内北の道路北にあります。見難くなった説明板を読むと、由緒ある寺です。夕刻で門が閉ざされていて残念でした。通常は非公開。1618年信長の弟で茶人の織田有楽が再興した。有楽はここに隠棲し、茶室「如庵」(国宝)建てた。茶室は明治に東京の三井家の所有となり、現在は愛知県犬山市に移された。当院に復元した「如庵」がある。
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       山門。
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       (文献から転写)復元された茶室「如庵」。


<八坂塔周辺のお寺>

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八坂通りから見た八坂の五重塔(法観寺)。何回もここを訪れるが、毎回閉鎖されている。原則、公開されていることになっているが、管理する建仁寺さんの都合でその都度閉鎖されるそうである。もう少し開放の情報をいただきたいものである。

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          大漸寺への道。

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大漸寺。柘榴寺とも云う。寛保2年(1742)日逢上人が開設。柘榴をお供えするならわし(鬼子母神堂へのお供え)があり、柘榴が植えられた。

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      柘榴の花が丁度咲いていました。

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青龍寺。ねねの道を南下し、突き当たりにある。1192年法然の弟子・見仏が再建した。浄土宗。本尊聖観音像は唐の徳宗皇帝より桓武天皇に貢がれた香木伽羅の彫刻によるところから伽羅観と呼ばれる。本堂前の念仏石は、たたくとキーンと金属音がし、鐘の代わりにたたいたという。中には入れませんでした。


この後、圓徳院を訪ねます。