我が家はメゾネットタイプの2階建て。
震災後ひと晩は停電になったり、余震が続いたり、ガソリンや灯油が手に入らなくなったり、不安な日々を送っていた。
18日までの1週間3歳と0歳の子供とともに4人で同じ部屋に雑魚寝。
地震があると必ず起きていた。ゆっくり眠った気がしなかった。夜中に起きてはテレビをつけてみたりもした。
子供たちも不安だったのでしょう。テレビで地震の様子をずっとみていると、何か奇声を発したりしていたので、できるだけテレビを見ないようにもした。
3連休を過ぎて、子供番組をするようになり、ガソリンは入らずとも、灯油は入らずとも、すこしづつ平穏を取り戻しつつあったので、思い切って通常通り2階に寝ることにしました。
そして自転車のメンテナンスと子供用の補助椅子を購入。雪の日も自転車通勤に切り替えてます。
さすがに15日の大雪の日はだめでしたが・・・できることからと、義援金や支援物資など届けにいった。
会社の営業機能は1週間停止状態だったけど、物流が3連休後から徐々に復活。
物流会社の使命感と強さを感じた。
自分たちの車を使わなくても、物流の復旧で仕事ができる喜びをかみしめながら全員出社で営業再開。それでもガソリンは手に入らない状態は続いた。
25日には会社の営業車のために2時間も並ぶ。むなしさいっぱい。
そんな日々を送り、そして今日は3月31日。
もうすぐ3週間になる。ガソリンのことを騒いでいた人たちも、29日からは全く話をしなくなった。
ならばなくてもつめられるから。
日常の生活が戻ってくればくるほど、またもとの生活に戻ろうとする人達。
これってどうなんだろう?いいことなんだけど、なんら学ぶところがないのでは?なんてちょっと怒りをおぼえつつ、実はみんな不安をかかえながらいるのではないかとも思う。
私自身足下からできることをやっているけど、1週間前までは被災地・地震・被災地・地震・できることそんなことばかり考えていたが、ある意味被災地のことをふと忘れるときがある。
いつも不安と隣り合わせの日々、でもそこに生きていればこれからの未来は作ることができるはず。
そして、前と同じ生活に戻るのではなく、必ず自分も変わること、生活もかえること。これが必要なこと。
予測できない、想定外だったなんて言葉はいらない。全ての事象が予測して起こるわけではない。
思い通りになんかいかないけど、自分がやるだけのことを一生懸命やって生きていくことが必要なんだと本当に思う。
これからはもっと恐ろしい放射能のことが問題になるし、目に見えないからこそ恐怖が大きい。
そんなこと不安を皆遠ざけようとしているのかもしれない。いつまでも他人のこととして考え、自分のこととして受け入れられないかもしれない。
生活での不安がすこしづつ解消されてきたから。
でも私の住んでいる山形はほぼ確実に放射能の影響を受けるのではないかと思う。
そんな時自分になにができるか、これから何が出来るか、真剣に考えて確実に実行していきたい。
生きているんだから、これから40年も50年も生きていくんだから。そして子供たちも家族もいるんだから、会社もあるんだから。
それだけで幸せと思わないと。
今の化学ではまだ制御不能な放射能物質。恩恵を十分に受けてきた。今一度生活の見直しとこれからの将来を見直したい。
放射性物質って、コンクリート詰めして海に沈めるんだって。
そのような話を中学時代に学校の先生から聞いたことがある。それじゃなんの解決にもならないじゃん。
でも海は広いからね。そんなやりとりをした記憶がある。他人事だったんだろうな。
自分には関係することではなかったんだろうな。
チェルノブイリで原発事故が起きて、死の灰が降ったんだって。
原子力発電所が廃炉となり、コンクリートで固められていた、曇天の映像を見たことがある。
学生時代ニュース23で。
20年や、30年、いや100年はここに人は住めないだろう。そんな締めくくりだったんだろうな。
たいへんだね。どこか他人ごとだったんだろうな。
でもこれからは違う。確実に危機は迫り、どのように生きていいか選択肢を迫られるはず。
そんなとき、判断を間違わないように、自分自身で情報アンテナを張り、自分の信じる道を進みたい。