まずは告知


くらげさんとnoteで連載している「発達障害あるある対談」 4月分更新されています。今回は盛りだくさん!GWの移動中のお供にぜひどうぞ!

発達障害あるある対談 第383回「『ダイバーシティ』があるからそれがそのまま仕事や才能に結びつくわけではないよね?」

 

今回のnote記事の一部でビジュアルシンカー、特にASDがあり、ビジュアルシンクは達者だが、言語化が苦手で、他社とのコミュニケーションにも苦手感があるという人をペルソナとして取り上げました。

 

noteの中ではそれが本旨というわけではなかったということもあり、説明不足だった部分も多く、「ASDはビジュアルシンカー、喋らないなら絵を書かせたらいい」という単純なメッセージに受け取られかねないと思ったので、少々冗長ですが用語の説明を交えて、ASDのあるビジュアルシンカーは社会でどういう存在なのか、どう生きていけばいいのか。そして社会の側はどう活かすべきかについて考えていきたいと思います。

 

 

ビジュアルシンカーって?

人類には、事象を文字にしてから考えるのが得意な人と、そのままを五感で飲み込み考えてから文字などで出力する人がいるのですが、後者の方を特に「ビジュアルシンカー」と呼びます。
 

音や温度、空気の匂いや眩しさ、時間軸も同時に扱える人もいるので、必ずしも「視覚化」だけではないのですが、要するにテキスト以外の何かをまとめた爬虫類みたいな言葉のようです。

 

なんでこんな残りカスみたいな扱いなのかというと、人間の9割以上が言語化してから考えるグループだから。テキストシンカーという言葉が必要ないぐらい、言語化して考えるのが当たり前らしいんですね。


ビジュアルシンカーは「わかってちゃん」なのか?

本当にそんな人いるの?人とコミュニケーションを取るのをさぼって「黙っててもわかってほしい」って言ってるだけじゃないの?…という懐疑の声も聞きますが、特に発話などに障害がない場合、言語化が苦手だからコミュニケーションをさぼっているという人はまれです。出力は言語、それは一緒なんです。わたしもこうして文章を書いてますし、漫画にも台詞があります。

 

ただ、その過程が違うので「どこまでわかってる?」「どこまでやった?」ということをテキストで説明することができないし、仕事が遅れているからと言って途中から他人の介入を求めることができないのです。

 

ただし、これは相手がテキストシンカーだった場合の事、相手もビジュアルシンカーであれば全然組めます。映画、動画、MV、漫画の合作など、ビジュアルシンカー同士がチームで作っている例はいくらでもありますよね。

 

そういう場所では、逆にテキストでシンクしていると「ニュアンスが違う」とリテイクをくらいまくり、心を病むみたいです。「何がどうダメなのかわからないよ、どう描けってもう口で言ってくれればいいのに」という人はよくいますが、作品の方向性と世界観を共有したうえで、「そこに嵌まる君の考える最高の部品をくれ」と言っているので、何を描けとは指示するわけがないんですね。そこをクリエイトするべきなのです。

 

閑話休題…

 

ASDにおけるビジュアルシンキング

ASDのある人が、しばしば言語よりビジュアルが得意であることは知られています。

 

これは先に上げた「発話などに障害がない場合…」の「あるバージョン」です。

特に子どもなど発話が遅れている、もしくは全く出ない場合、周囲はなぜ起こるかわからないその子の癇癪に振り回されることになります。

 

その子の頭の中では思考があるのですが、周りの大人たちは言葉がないから考えていないと思うのでしょう。結果的にその子の意思や考えるペースを無視して話を進めるようなことになってしまいがちです。また、子どもの方も、そこに認知の障害があり、他人同士が言語を介して意思疎通がしているということ自体理解していなかったりもするのですよね。

 

それで、子どもの支援施設などでは、親子、支援者がお互いにカードなどを介して意思を伝えるやり方を指導したりしてます。

 

このようなASDのある子どもは、成長とともに言語も習得しビジュアル×テキスト、「頭の中はビジュアルシンク、出力はテキスト、でも疲れるなあ...」というところに落ち着いていくのですが、やはりまれにビジュアルシンクが9割以上という人もいます。こうなるとほとんど言葉での意思疎通はできません。しかし、明らかに知性があり、自立して日常生活は営めるというキャラクターイメージになります。「世捨て人」や「仙人」などと呼ばれる人を思い浮かべると良いかもしれません。

 

問題は「テキストシンカー」の方にも

ビジュアルシンカーは、この世にはテキストシンカーが多いということは理解していますし、多くの普通の人は基本テキストだけど、ビジュアルから受ける影響もばかにならないということを知っています。しかしこの逆のパターン人はあまり意識していないかもしれません。

 

こういうタイプの人は「言葉にできないなら考えてないも一緒」「今何やってるか説明して、できないならさぼってたってことだよね?」と言い、ビジュアルシンカーを職場から排除する場合があります。

 

しかし、デジタル2.0を超えた今現代、ビジュアルシンキング的なクリエイティブがいらない上流工程などありません。真に新しいアイディアを求め、よりよい社会を構築するためには、ビジュアルシンカーの仕事の過程を分析し、社会の側が積極的に取り入れていくことが必要になると思われます。

 

ビジュアルシンカーはASDの「才能」なのか?

アインシュタイン、イーロン・マスク、スピルバーグなど、ASD傾向を持った有名人がビジュアルシンキングをしていたと聞けば、「では我が家のASDっ子も…!」と思うかもしれません。ですが、その子がビジュアルシンカーであるかはまだわかりません。ASDにビジュアルシンカーが多いのは確かですが、あくまでASDでない人と比べてです。

 

また、ビジュアルシンカーであったとしても、本人が学問やビジネスで成功したいと思うか、実際にできるかどうかもわかりません。社会的な成功は、本人がASDも含めた自分の才能や課題感を存分に生かした結果であり、何か一つの材料が被っていたからと言って同じ結果が出るようなものではないからです。

 

ビジュアルシンカーは「才能」というより単なる「違い」、人類のバリエーションです。足の小指の骨が3本ある人が10%ほどいるそうですが、だからと言ってこれで社会的成功を収めたいという人はまれです。格闘家になれば少し有利かもしれませんが、格闘家として成功するには他の要素の方が大きくかかわるでしょう。

 

ビジュアルシンキングも同じようなもので、ビジュアルで考えるからといって斬新なアイディアばかりが出るとは限りません。ありきたりのアイデアしか出ない人も当然います。ビジュアルシンクかテキストシンクかより、長時間の思考に耐えるとか、勉強の習慣があるとか、筋の良い考え方ができることの方が何倍も大事なのです。

 

ビジュアルシンカーであることを活かしたいなら

それでもテキストシンカーばかりの職場は辛い。どこかビジュアルシンキングが強みになる場所はないか…そうおっしゃる方もいらっしゃると思います。

 

起業家や、数学者、エンジニア、デザイナー、イラストレーターがネットではよく取り上げられます。私は、マニュアルがなく体を動かして何かを表現する業界なら概ねいけるような気がします。陶芸家や和菓子屋、ダンサーなど…要は「見て覚えろ」とか「技は盗め」と言われる業界ですね。

 

そういう業界は、他の業界に比べるとではありますがビジュアルシンカーの割合が多少高いと考えられます。その仕事が興味のあるものであれば、ちょっと頑張ってみてもいいんじゃないかなと思います。