誰のためのバリアフリーなのか?

 

ふと思ったのでメモ的に書きますが。

「環境整備」「バリアフリーな環境づくり」ということが言われたりしていますが。

それはあくまで主体が「誰かのために便利である」という「人間」であり、尚且つ「人間」が「環境」と分断されているという捉え。

しかし、人間もまた環境の一部であり、環境と一体である、と捉えた時、見えてくるのは「人間にとって都合の良い環境」ではなく、「場」としての捉え。

そこには「段差をなくせばいい」とか「整備して終わり」という固定化されたものではなく、「関係性の中で生じる動的な障壁をほどいていく」というような、もっと対話的で動的なことが浮かび上がってくるのではないか。

言語という箱と中身のギャップ

 

「障害者」という言葉が使われるようになったのは、1960〜1970年代ということらしいです。

詳しいことは割愛させていただきますが、それから50年以上の時が経ち、その「障害者」という「言語」と、その「障害者」という言葉が含む意味合いが、大きく変容しているのは間違いありません。

しかしながら、この「表現している内容」は大きく変わっているのに、「障害者」という言葉は変わらずに使われ続け、もはや定義云々はさておき、この言葉における概念やイメージは人それぞれと言えるほど多角化していると感じます。

また、「障害」という「診断」も、年々「〇〇障害」という言葉が生まれ、もはや何が障害と表現されているのかも、これまた定義云々抜きに、人によって大きく意味や概念が違ってきているように感じます。

 

ここでは何かの良い悪いをジャッジするつもりは全くなく、単なる個人的な感覚なのですが。

「診断(〇〇障害)」というものが、何か「うまくいかないこと」「うまくできないこと」「頑張らなくてもいいこと」などを「正当化するため」に存在していると捉えている人が、案外、かなり増加してきているのではないかなと感じています。

また、「診断」というものが、数値化されたものやチェックリストで判断されるため、「目に見えないもの」「数値として現れないもの」などが消し去られてしまい、とても偏ったものになってきているようにも感じます。

「障害者」という言葉も、これだけ中身が大きく変容してきている中、外側の「障害者」という箱だけは変わらず、色々なものと大きく乖離してきていると感じます。
現代の構図では、「経済活動が困難な人」というラベルを貼っているだけではないか?という疑問も抱きます。

 

もちろん、言葉を変えればいいとか、診断をもっと厳格に行えばいいとか、そういう単純で一方的な話ではなく、しかし、「障害」や「診断」、「障害者」という言葉を、今いちど問い直し、捉え直すことをしないと、このまま偏りと滞りが増大して、どんどんとおかしな世界になっていくだろうなと感じています。

 

確実にあるのは、「このままでいいの?」という危機感と違和感。

ここ3年間くらいの間、数ヶ月、数日、数時間、数分、数秒で自分の感覚がどんどんと変化してきているのを感じています。

 

きっかけは四則和算というものに出会い、自分の基底や概念が吹っ飛び、視座や感覚がグワ〜っと変化している感じで、色々なものの感じ方や考え方が変化した、というよりも、何か今までなかったものが自分の中に現れた、という感じや、今まで自分を縛り付けていたものが少しずつ解けてきた、という感じでしょうか。


きっとヒモトレを実践していることも多分に影響があると思います。

そんな部分のあれこれは別の機会に。

 

過去に自分がアメブロなどのブログで書いてあったことなんて、まさに「うまい具合にそうだと思い込まされていたもの」だと今は感じています。


が、それも自分の中にあるもの、またはあったものなので、捉えが全く変わった今でも、それは消さずにおこうと思います。

 

「本音と建前」とは少しニュアンスが違うかもしれませんが、表面で語られていることが、実は全く違う思惑によって作られているものだと感じたり、本音の部分が見えてくるようになったり、感じるようになったり。


自分に今起きていることを言葉でうまく説明しようにも、うまくその感覚を言葉に詰めることがまだできません。

今の所「何を言っているのだ?」と思われるでしょうが、とりあえずこの感覚や気持ちのようなものを一旦切り出さなければ、ずーっと切り出せないだろうなと思い書いてみました。

 

 

これから少しずつ、自分が感じたり、見えてきたりしているものを、なんとなく書き出していこうと思います。

 

改めまして、障がい福祉サービス「就労継続支援」を行っている「NEXT SPACE」を運営しております、寺嶋秀彰です。

 

 

いつの頃からか、業務的なことしか書かなくなり、noteに引っ越しをすると言いながら、noteで全然更新をせず・・・

 

なんとなく思い立って、毎日とは言えませんが、ポツポツと思うことなどをつらつらと書いてみようかなと思います。

 

 

最近、とても思うことの一つに、世の中は「多様性」という割に、正解を決めたがるなぁ、と。

 

 

例えば、感情。

 

世の中には「感情のコントロール」や「イライラしない方法」みたいなメソッド本や記事に溢れ、暗に「イライラすることは良くないこと」「感情はコントロールできないといけない」みたいな風潮を強く感じますが。

 

いや、イライラ、しませんか?

 

僕は例えば18時間起きていたら、おそらく12時間くらいはイライラしていますよ。

 

だって、世の中、ムカつくこととか多くないですか笑?

 

それを、「イライラしてはいけない」「穏やかであるべき」みたいに傾きすぎると、イライラしてしまう人は「イライラする自分はダメなんだ」って思っちゃいませんかね?

 

良いんですよ、感情がコントロールできるなんて、すごいじゃないですか。

何も感情をコントロールしちゃいけない、なんてことを言うつもりはありません。

 

けど、「そうそうコントロールできるもんじゃなくない?」「感情豊かって、それはそれで素敵じゃない?」とも思うわけです。

 

「正解」を決めると、「正解」以外が「不正解」になります。

分断しか生みません。

 

誰かにとっての「正解」は、誰かにとっては「不正解」だったりするものです。

 

そんなに「正解」ばかりで埋め尽くされる世の中は、ひどく息苦しいと感じるのは、割とまともな感覚だと思います。

 

正解ばかりが求められるから、正解ばかりを求めてしまう。

 

正解ばかりを決めつけるから、不正解だらけになってしまう。

 

世の中のほとんどのことは、「正解と不正解の間のグラデーションに存在している」。

 

そんな風に思います。

 

 

とはいえ、自分の感情に振り回され、疲れてしまうこととかありますよね。

 

そんな時にはこちら!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうサービスを始めました。

 

まだ立ち上げたばかりで、ヘッド画像が全部一緒なんですけど、内容は違います笑

 

もしお悩みの方がいたら、遠慮なくご利用ください。

もし、身近に悩んでいる人がいるけど自分では助けてあげられない、という方。

こちらのサービスを教えてあげてください。

 

誠心誠意、ご対応させていただきます。

 

 

今後もポツポツと更新していきたいと思いますので、お付き合いいただけると幸いです!

改めまして、障がい福祉サービス「就労継続支援」を行っている「NEXT SPACE」を運営しております、寺嶋秀彰です。

 

 

3月

1、4、5、6、7、8

11、12、13、14、15、18、19

20、21、22、25、26、27、28、29

 

 

3月も上記日程にて、販売スペースをオープンさせていただきました。

 

販売イベントの準備などでクローズの時間も設けさせていただきましたが、無事に3月も乗り切ることができました!

 

なかなか商品の在庫が追いついていない部分もございますが、「贈り物に」と商品を購入してくださった方や、

新作に興味を持っていただけた方など、また地域の方との繋がりを感じさせていただけた時間でした。

 

 

商品の在庫管理などの都合上、4月以降は販売スペースを一時停止させていただきます。

 

今後は

 

北海道釧路市治水町12−10

コーチャンフォー釧路文化ホール2階

 

きっさこ イペ

 

にて商品を置かせていただき販売を継続していくことと、市内、近郊で行われる販売イベントへの出店に注力させていただきたいと

思います。

ご理解いただけると幸いでございます。

 

もちろん、事業所にいらした時にはできる限りの対応をさせていただきますので、ぜひ遊びにいらしてください!

 

今後とも引き続きよろしくお願いいたします!