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この世界に居ない娘を想う

2024年4月に12歳の娘が闘病の末旅立ちました。沢山のなぜ?に埋もれながら生きる意味を探しています。

10年ほど前に、色々な電線の写真を撮っている方とお会いしました。

その時から電線は綺麗だなと

思うようになりました。



今朝は朝焼けと月と電線が綺麗でした。



子供を亡くしてから朝起きるのが嫌でした。

居ないことを、思い知らされる。

どうあっても居ない、会えない。

泣きながら娘の場所に行き、お線香をあげる。



でも最近は泣かなくなりました。

朝も以前ほど辛くない。

娘が居ない朝が日常になる。

朝起きたらまずお線香をあげていたのが、

洗濯物を干した後にお線香をあげるようになったりする。



娘を失ったあとに大きな穴が開いて、

私はその縁の直ぐに側にいました。

縁の側でうずくまって居たと思うのですが、

気がつくとその縁が少し離れている。

穴も、少し小さくなっている?



それはこの先生きていくためには必要なことかもしれないけれど、


娘の事を忘れていく

記憶からも失う


そんな風に思いました。



一番新しくて苦しい記憶を引き出して、

泣きながらその穴を自分の手で広げていく。

広げれば辛く悲しくなるけれども、

娘を想う気持ちも広がる様な気がします。



その一方でブログや家族会で

喪失感と穴を埋めようとしている。



矛盾した事をしているなと思います。



悲しさや辛さではなく、

楽しかった思い出などの違う事で

娘の存在を想えば良い。

ただその想いも最後は

あの子が居たら…

なぜこんな事に…

で終わる。



私は何をしているのだろう?